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「峨〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

峨の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
。 それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾《ながお》の律師様《りっしさま》が嵯《さが》に阿弥陀堂《あみだどう》を御建てになって、その供養《くよう》をなすった....
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
立てきった障子《しょうじ》にはうららかな日の光がさして、嵯《さが》たる老木の梅の影が、何間《なんげん》かの明《あかる》みを、右の端から左....
闖入者」より 著者:大阪圭吉
ある。その名を、岳陰荘と呼び、灰色の壁に這い拡がった蔦葛の色も深々と、後方遙かに々たる剣丸尾の怪異な熔岩台地を背負い、前方に山中湖を取|繞る鬱蒼たる樹海をひか....
鬼仏洞事件」より 著者:海野十三
びこんだのであった。 その部屋の飾りつけは、夜明けだか夕暮だか分らないけれど、々たる巌を背にして、頭の丸い地蔵菩薩らしい像が五六体、同じように合掌をして、立....
小春の狐」より 著者:泉鏡花
ている。!……も、――も、丶も、邪魔なようで焦ったい。が、しかしその一つ一つが、々たる巌、森とした樹立に見えた。丶さえ深く刻んだ谷に見えた。……赤新聞と言うの....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
、お妻の胸元を刺貫き――洋刀か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、々たる巌石を背に、十文字の立ち腹を掻切って、大蘇芳年の筆の冴を見よ、描く処の錦....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
、あら、二人とも気取ってる。バケツが引っくり返ってるじゃないの――テン、チン、嵯やおむろの花ざかり、浮気な蝶も色かせぐ、廓のものにつれられて、外めずらしき嵐山....
悪獣篇」より 著者:泉鏡花
一 つれの夫人がちょっと道寄りをしたので、銑太郎は、取附きに山門の々と聳えた。巨刹の石段の前に立留まって、その出て来るのを待ち合せた。 門の柱....
杜子春」より 著者:芥川竜之介
て、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、 「いかにもおれは眉山に棲んでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好....
楠公夫人」より 著者:上村松園
なると、私はもうひとつ納めなくてはならぬところを感じるのである。 それは京都嵯の奥なる、小楠公の首塚のある宝篋院である。 弁内侍と正行公との、美しくも哀し....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
よ。お身のような御仁がなんの用ばしござって尋ねられた。はは、ここは双ヶ岡じゃ、嵯野ではござらぬ。横笛どのが門ちがいせられたのではござらぬかな。」 見掛けによ....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
で、人まぜもせず、お絹が――お酌。 (ずッと見物をおしやしたか。) 宇治は、嵯は。――いや、いや、南禅寺から将軍塚を山づたいに、児ヶ|淵を抜けて、音羽山|清....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
る声で若辰の節を転がして喝采を買ったもんだそうだ。二葉亭の若辰の身振声色と矢崎嵯の屋の談志の物真似テケレッツのパアは寄宿舎の評判であった。嵯の屋は今は六十何....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
を公けにし、続いて同じ年の暮れに『ひとよぎり』を出版し、二葉亭に先んじて逸早く嵯の屋お室の文名を成した。 二葉亭の初めての試みはゴーゴリの飜訳であった。が、....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
るところなり。寄寓中所詠五絶二首あり。 駅路春晴続、塵深欲靴、智原青鬱鬱、安岳白。 (鉄道に春の晴れわたる日が続き、塵埃は深くつもって靴も没せんばかり、チリ....