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島村抱月
「島村抱月〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
島村抱月の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
批評家の出現を省《かえり》みなければならない。即ち、高山樗牛、森鴎外、坪内逍遥、
島村抱月が之である。当時、我国には前述の如く、通俗小説以外に文芸は皆無であった。....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
は大きい。 (何うも、あんな先生のあんな講義で、四円五十銭もとるのは、高すぎる)
島村抱月先生は、何故か休講、坪内先生も二回聞いたきり、相馬御風氏が、文学を講じる....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
して高く評価されていた松井須磨子が自殺した。 芸術上の指導者であり愛人であった
島村抱月が死んでから後一年の生活が、遂にこの情熱的な女優に死を選ばせるに到った動....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
《まついすまこ》のあった事も特筆しなければなるまい。彼女は恩師であり情人であった
島村抱月《しまむらほうげつ》氏に死別して後、はじめて生と愛の尊さを知り、カルメン....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いた者では藤野古白氏がある。氏は子規氏の従弟で、早稲田の学校では後に有名になった
島村抱月氏と同級であったのだが、夙《はや》くより個性とか自我とかいうような意味で....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
れた、しかし余輩はそれを見てあぶないものだと思った、松井須磨子は早稲田生えぬきの
島村抱月の愛弟子《まなでし》である、一体早稲田派が宣伝に巧みなのは大隈侯以来の伝....
「新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
に平民労働者の為めに催すと云う従来の演芸会は、総て此の種のものであった。又、若し
島村抱月君が、多少そう云う風に臭わしているように、其の芸術座の演劇が民衆芸術であ....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
ったかと思う。また『早稲田文学』に何か俳句に関することを書いてもらいたいと言って
島村抱月君が居士を訪問して来た事もあった。 余はいつまで経っても、小説はもとよ....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
く早稲田大学から氏を傭聘したいという申込みがあった。もっともそれは表向きではなく
島村抱月氏から片上天弦氏を通じ私から漱石氏の意向を聞いてくれぬかという事であった....
「最近の感想」より 著者:種田山頭火
現時の俳壇に対して望ましい事は多々あるが、最も望ましい事の一つは理解ある俳論の出現である。かつて
島村抱月氏は情理をつくした批評ということを説かれた。それとおなじ意味に於て、私は....
「夜長ノート」より 著者:種田山頭火
敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏。…… 早稲田文学、文章世界、帝国文学、新小説。
島村抱月氏、田山花袋氏、相馬御風氏、正宗白鳥氏、馬場孤蝶氏、森田草平氏。…… ....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
の塁を固うするはやはり同じ性質の思想が累をなすのである。最も近代人的態度を持する
島村抱月君もまた恐らくこの種の葛藤を属々繰返されるだろう。 この殆んど第二の天....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
の演ぜられた時の感激的な印銘は今もなおあざやかに胸に残っているが、それよりもかの
島村抱月先生の寂しい傷しい死や、須磨子の悲劇的な最期やを思い、更に島村先生晩年の....
「随筆銭形平次」より 著者:野村胡堂
不如帰《ほととぎす》」の浪子不動が土地の名物として存在を主張している。雑司ヶ谷の
島村抱月、松井須磨子の比翼塚《ひよくづか》は、生々しい記憶が付き纏っているが浅草....