嵯峨野[語句情報] »
嵯峨野
「嵯峨野〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
嵯峨野の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「名娼満月」より 著者:夢野久作
た。 その頃、満月に三人の嫖客が附いていた。 一人は越後から京都に乗出して、
嵯峨野の片ほとりに豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた金丸長者と呼....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、『日本紀』神代巻に、駮駒《ぶちこま》をいえり、これ神代より馬あり、二条良基の『
嵯峨野物語』に、馬は昔唐国より渡りし時、耳の獣という、すべて稀なりしかば、帝王の....
「落ちてゆく世界」より 著者:久坂葉子
ふたたび、父についての思い出をたぐりはじめました。父と私は、新緑の奈良や、紅葉の
嵯峨野をよく散策しました。古寺を尋ね、その静かなふんいきの中で色をたのしんだり、....
「源氏物語」より 著者:紫式部
近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。
嵯峨野《さがの》の御堂《みどう》に何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御|....
「源氏物語」より 著者:紫式部
寿命経などの読まれる頼もしい賀の営みであった。高官が多く参列した。御堂のあたりの
嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が惹かれて集まった人なのであろうが、その日は....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
馬を給わって明月に鞭をあげてあてもなくあこがれて行く。おじかなく此の山里と詠じた
嵯峨野の秋の暮の景色にさぞや哀を思ったろう。片折戸にした所を見つけては若し此の処....
「恩人」より 著者:豊島与志雄
る八十幾歳の老婆の昔語りや、円山公園の夜桜、それから大原女《おはらめ》の話、また
嵯峨野の奥の古刹から、進んでは僧庵や尼僧の生活まで。そしてこうつけ加えた。 「一....
「郷介法師」より 著者:国枝史郎
自由しているよ」 「私の所へ来てはどうか?」 「今どこに住んでいるな?」 「洛外
嵯峨野だ。いい所だぞ。……ところでお主はどこにいるな?」 「私は雲水だ。宿はない....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
、その燈火が映り栄えて輝いている様は、きらびやかで美しく、そういう座敷の正面に、
嵯峨野を描いた極彩色の、土佐の双幅のかけてある床の間、それを背にして年は六十、半....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
るよ。お身のような御仁がなんの用ばしござって尋ねられた。はは、ここは双ヶ岡じゃ、
嵯峨野ではござらぬ。横笛どのが門ちがいせられたのではござらぬかな。」 見掛けに....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
四郎が団十郎、児龍若が女寅であったが、取分けて仲国が優れてよかった。鞭を横たえて
嵯峨野の月に立った彼の烏帽子姿は、ありありとわたしの眼に残っている。弁慶も助六も....
「握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
しい寿司屋もあり、やかましい食い手もあった。その当時、新橋駅付近に、千成と名乗る
嵯峨野の料理職人が、度胸よく寿司屋稼業を始め、大衆を相手にして、いつの間にか職人....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
都は広いと聞く。 かつての承久ノ乱や、寿永、治承の大戦のさいでも、都の北山、
嵯峨野のおくには、平家のきずなや権門を遁れ出た無髪の女性たちには、修羅の外なる寸....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、介に行き会うたとか」 「はい」 「いつ、どこで」 「つい都を離れる前の日ごろ。
嵯峨野の辻で」 「介のおる所を、その折、どこか聞かなんだかの」 「双ヶ|岡のさる....