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「川西〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

川西の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あらくれ」より 著者:徳田秋声
き、お島はそこに跪坐《しゃが》んでいる小野田を促した。 前《せん》に働いていた川西という工場のことを、小野田は心に描いていたが、前借などの始末の遣《やり》っぱ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
「ご苦労でござる」 「みなそろいました」 「のこらず着席いたしました」 「では、川西|万兵衛《まんべえ》、差し出がましゅうござるが吟味つかまつる。――音蔵殺し下....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
いる。 帝都、名古屋の前例に鑑み、阪神の重要工場は疎開を完了していたかどうか。川西航空機は如何? 神戸製鋼は如何? ◯一昨日、永田の新世帯のある八日市場へ行き....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
へ出仕して、ちょっと羽振りの好い方であった。その妹のお道というのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡伊織という旗本の屋敷へ縁付いて、お春という今年三つの娘までもう....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
と馬籠の両宿へと出、交代に朝勤め夕勤めの義務に服して来た。もし天龍川の出水なぞで川西の村々にさしつかえの生じた時は、総助郷で出動するという堅い取りきめであった。....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
目に、高尾槇尾栂尾から嵐山の秋色を愛ずべく、一同車を連ねて上京の姉の家を出た。堀川西陣をぬけて、坦々たる白土の道を西へ走る。丹波から吹いて来る風が寒い。行手には....
御萩と七種粥」より 著者:河上肇
城山の方に向って歩いてゆくと、渡場があった。舟に乗せて貰って向うへ渡ると、そこが川西と称される地帯で、叔母のうちは、その川西の山手にあった。川を渡ってから暫く街....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
幸中にも、代官邸以西まで火は届かなかったが、宮川通りから一の町、二の町、三の町、川西の方までも目抜きのところが焼かれてしまっている――兵馬としては、この城山の方....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
たものだから、 「して、あなた様は、どちらにおいでになりますか」 「わしは、この川西に家をあてがわれているけれども、わしの周囲《まわり》は、みんな他人じゃ、わし....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
なくてはなりません。どんな名が好いか。一つ案を立ててみたらどうです。」同宿の友の川西がそういった。 「子供は今生れたばかりだ。生い立つことが出来そうかどうかもま....
火の扉」より 著者:岸田国士
土手の蔭にしやがんでいました。お向いの奥さん、お気の毒に大怪我をなすつて……今朝川西病院でお亡くなりになつたんです」 彼女は、なにから話していゝかわからなかつ....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
第三話 談譚聚団 これから昭和八年の春、再び夜逃げをするまで私は、滝野川西ヶ原の陋巷《ろうこう》にいた。 すぐ裏が寄席で、夜毎、寄席噺子が洩れ聞こえ....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
せた。また緑雲生という人が「明治の光」に出した奈良県下の部落名の説明中に、磯城郡川西村梅戸の姫廻伊織という人も、先代までは宮中のお召緒太を献上した旧家で、御紋付....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
とさえ忘れている有様である。 奉公先として連れて行かれたのは屋号を座古清という川西家。川西家は当時すでに一に小曾根、二に座古清といわれるほどの兵庫きっての資産....
秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
山などの連嶺が波濤の如く起伏し、其奥に越後沢・小穂口・下津川・小沢・三石など利根川西岸の諸山が奔馬の如く南走している。燧岳と平ヶ岳との間には、雪を帯びた越後の駒....