工会[語句情報] »
工会
「工会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
工会の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
ころか、……幹部にまで不穏な奴があるんだから。」 小山が答えた。 「ふむむ、総
工会のまわし者がもぐりこんどるかどうかは、なか/\吾々日本人にゃ分からんもんだ。....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
中小商工業者への低利資金融に就いて、意見の一致を見たと伝えられる。それから近畿商
工会議所連合会の席上では、大蔵省当局者に向って、二千万円程政府が責任補償する一万....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
は、つまり産業組合にケチをつけたということにもなるのである。 ところで、日本商
工会議所会頭郷誠之助氏は、或る日府県の経済部長達を招待して、産業組合助長をやめる....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
がら選択に苦しみますが、先に日本美術協会の話をしたから、引き続き、ついでに東京彫
工会のことについて話します。 東京彫
工会というものの出来たのは、妙なことが動機....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
であったと思います。そこで、大森、塩田、前田などの学者側の人と相談をして「東京彫
工会」と命名したのでありました。 内部の献立が悉皆出来上がり、会名が附いたので....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
てくれました。そして井生村でこの会は二、三回催されました。 こういう風に東京彫
工会の成立が予期以上に盛大でありましたので、形勢全く一変し、東京の彫刻界を風靡す....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ちょうどこの彫
工会発会当時前後は私は西町にいました。 その節、彼の三河屋の老人と心やすくなっ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
いずれも首尾よく納まりました。それから暫くすると、今度は御学問所の欄間で蝙蝠を彫
工会の方へ御命じになって、大勢で一つずつ彫れという命令。つまり合作であります。私....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ろに柱があってその装飾として四頭の狆を彫れという御命令であった。 これは東京彫
工会へ御命令になったので、木彫りで出来るのではなく、鋳金となって据えられるので鋳....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
古来から無上のものとなっている。荒けずりから仕上げに掛かり、悉皆出来上がって、彫
工会へ納めました。 木型が出来ましたので、大島如雲氏はそれを原型として鋳金にし....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
では牙彫師の鵜沢柳月という人が住んでいたのだということでした。 この人は先に彫
工会の成り立ちの処で話しました谷中派の方の親方株の牙彫師で、弟子の三、四人も置い....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
歌の所であります。薄肉で横二尺以上、縦四尺以上でなかなかよく出来ました。これは彫
工会であったか、美術協会であったか、ちょっと忘れましたが、いずれかへ出して好評で....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
国勧業博覧会が開かれた時、私は農商務省の方からは審査員を嘱托され、個人としては彫
工会の役員として当会に出張したのでしたが、その時山崎氏の作は出品されていました。....
「俗臭」より 著者:織田作之助
良い話といえなかったが、それでも政江の虚栄心を満足さすに足る縁談があった。大阪商
工会議員の長男といえば、少くとも大阪で一流だ、とその時政江はすっかり逆上してしま....
「『唯研ニュース』」より 著者:戸坂潤
、この様子では、聴衆はよくて百人、悪ければ五十人位ということだ。 会場は高岡商
工会議所で、申し分のない処だが、その暑さは天下一品で蚊の数も人数よりは多かったら....