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工匠
「工匠〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
工匠の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「名人伝」より 著者:中島敦
間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠《かく》し、楽人は瑟《しつ》の絃《げん》を断ち、
工匠《こうしょう》は規矩《きく》を手にするのを恥《は》じたということである。(昭和十七年十二月)....
「山椒大夫」より 著者:森鴎外
ことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、このときから農作も
工匠《たくみ》の業《わざ》も前に増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた。国....
「雛がたり」より 著者:泉鏡花
ず注ぎねえ。 なんかで、がぶがぶ遣っちゃ話にならない。 金岡の萩の馬、飛騨の
工匠の竜までもなく、電燈を消して、雪洞の影に見参らす雛の顔は、実際、唯瞻れば瞬き....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
余もある高楼を設けて、東軍を眼下に見下して得意になって居た。一方東軍では、和泉の
工匠を雇入れて砲に類するものを作らせ、盛んに石木を発射せしめて敵陣を攪乱させたと....
「高島異誌」より 著者:国枝史郎
かつて舞るが如く多年羨み望みたる所の家財調度を買求め、家の隣の空地を贖ひ、多くの
工匠を召し集めて、数奇を凝らせる館を築けば、即ち屏障光を争ひ、奇樹怪石後園に類高....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
の両親をたずねるとあらば、これよりただちに、いまわれわれの手において集めつつある
工匠《たくみ》の一人として、日光へお出むきくださる……承知いたした。チョビ安どの....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
す事深きにつけておのが業の足らざるを恨み、爰日本美術国に生れながら今の世に飛騨の
工匠なしと云わせん事残念なり、珠運命の有らん限りは及ばぬ力の及ぶ丈ケを尽してせめ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
になった。青鈍色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は御所付きの
工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。座蒲団....
「源氏物語」より 著者:紫式部
て、竹の籠、檜の籠などまでも自身で考案した。沈の木、紫檀、銀、黄金などのすぐれた
工匠を多く家に置いている人であったから、その人々はわれ劣らじと製作に励んでいた。....
「盈虚」より 著者:中島敦
すら》にあせるばかりである。大規模の工事が相継いで起され過激な労働が強制されて、
工匠石匠等の怨嗟《えんさ》の声が巷《ちまた》に満ちた。一時忘れられていた闘※戯へ....
「日記」より 著者:宮本百合子
倍、勿論年代を経ないと云うことも大した原因であろう。然し、何となく、建物自身にも
工匠の、魂魄がこもって居ない造営物と云う感がある。時代の(作られた)せいか。又、....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
、どうしても此時期の諸仏像を挙げざるを得ないのである。雄渾な構想に加えるに緻密な
工匠的の美意識に富み、聡明な空間組成と鋭敏豊潤な色彩配置とを為し遂げたその純芸術....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
と言う。 実や、文化よりして、慶応の頃まで生存した、加賀|大野港に一代の怪人、
工匠にして科学者であった。――町人だから姓はない、大野浜の弁吉の作だそうである。....
「三国志」より 著者:吉川英治
も、反対した。 「もし今、挙げて、王府をこの地から掃えば、商賈は売るに道を失い、
工匠は職より捨てられ、百姓は流離して、天を怨みましょう。――丞相どうか草民をあわ....
「三国志」より 著者:吉川英治
うなずいて見せながら、周瑜はなお言葉を重ねた。 「むかし周の太公望は、自ら陣中で
工匠を督して、多くの武器をつくらせたと聞きますが、先生もひとつ呉のために、十万の....