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左中将
「左中将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左中将の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「源氏物語」より 著者:紫式部
を味方に頼むのであった。 「人のことではそう熱心になれない問題だから」 などと
左中将は冷淡に言っていた。 内大臣は腹々に幾人もの子があって、大人になったそれ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
曇らないであろうわけはないのだからね」 と源氏は微笑しながら言っていた。子息の
左中将も真相をくわしく聞いていることであったからこれも笑いを洩らさないではいられ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
大納言|公敏、北畠|具行、侍従の公明、別当|実世、烏丸ノ成輔、さえもんの督為明、
左中将行房、ちぐさ忠顕、少将|能定。 それに北面の武士、諸家の侍、各地のいなか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
られた理想の子として親の目にも映っていた。 そのむかし、この顕家もまだ十四歳の
左中将の若者であったころ、北山|殿の行幸に、花の御宴に陪して、陵王の舞を舞ったこ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
や、都をひきはらって、みちのくへ帰る――と町ではさかんに沙汰されているのに、 「
左中将どのは、まだか」 「まだ播磨への御発向にはいたらぬのか」 と一面では、し....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
この原にあるものが、正成の持つ総勢だった。あわせて六、七百騎。これをかつての新田
左中将が発向したときの偉観にくらべれば、比較にならぬ小勢である。 しかし、ひと....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
左馬頭。年二十歳がらみ。 あらまし以上だが、なお一門格の飛騨景経、内蔵頭信基、
左中将清経、また幼少年には、宗盛の子清宗(十五)、同じく副将丸(八ツ)。小松資盛....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
を主としたものであったらしい。『東寺文書』に、 件。 (嘉暦二) 三月廿一日
左中将隆資奉 進上 東寺長者僧正殿 とある。こ....