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「左京〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

左京の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
偸盗」より 著者:芥川竜之介
色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。それがまた、右京左京《うきょうさきょう》の区別なく、どこも森閑と音を絶って、たまに耳にはいるのは....
吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
い」 「じゃ断じてない」 「でも、七百両ではどこかに無理が出よう」 「相役の伊達左京の方は、いくら使ったかしら?」 「それはわからん!」 「伊達より少ないと、肩....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
の受け帳をしらべてみると、――あるのです! あるのです! 小林玄竜 四十三歳。左京流|小太刀《こだち》、ならびに山住流含み針指南。 同妻、かね三十八歳。 同娘....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
番|町《ちょう》の御厩谷《おうまやだに》に屋敷をかまえている五百石取りの旗本福田左京の妾に所望された。左京の本妻は間もなく病死したので、妾のお関が自然に本妻同様....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
勝家は越前に、盛政は富山に引き退いた。又滝川左近|将監一益も、武蔵野に於て、北条左京大夫|氏政と合戦中であったが、忽ち媾和して、尾州長島の居城に帰った。更に森勝....
島原の乱」より 著者:菊池寛
星主膳、有江|休意、相津宗印以下十数名の浪士、評定衆となり、目付には森宗意、蜷川左京、其他、弓奉行、鉄砲奉行、使番等数十名の浪士之を承った。加津佐、堂崎、三会、....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
が担うのである。それも甲斐撫での武士ではない。日向大和、勝沼入道、今川伊勢、辺見左京、一騎当千というよりもいずれも堂々たる武将連である。その後から信玄が行き、ま....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
年正月に戦場となった処で、其戦は伊達政宗の方の大敗となって、大崎の隣大名たる葛西左京太夫晴信が使を遣わして慰問したのはまだしも、越後の上杉景勝からさえ使者を遣《....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
しを願えますれば此上の悦びはござりませぬ。」 「聢と然様じゃナ。」 「御当家木沢左京様、又丹下備前守様御弟御さまほどの方々に対して、臙脂屋|虚言詐りは申しませぬ....
死者の書」より 著者:折口信夫
しおかれぬ限りは――。 京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住いは、南を広く空けて、深々と....
紫大納言」より 著者:坂口安吾
の下を露に濡らしてしまうことなど、気にかけたこともないたちだった。 そのころ、左京太夫|致忠の四男に、藤原の保輔という横ざまな男があった。甥にあたる右兵衛尉斉....
織田信長」より 著者:坂口安吾
死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの ――信長の好きな小唄―― 立入左京亮が綸旨二通と女房奉書をたずさえて信長をたずねてきたとき、信長は鷹狩に出てい....
首頂戴」より 著者:国枝史郎
忠坊日親で、これまた先箱を二つ立て、曳馬一頭を引かせている。つづいて行くのは藤井左京、抑えの人数を従えている。最後に馬上で行くものは、即ち山内伊賀之助、熨斗目麻....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
というべきであった。もっともはるか東北の方には藤堂|和泉守や酒井|左衛門尉や佐竹左京太夫や宗対馬守の、それこそ雄大な屋敷屋敷が、長屋町家を圧迫して月夜の蒼白い空....
間人考」より 著者:喜田貞吉
。高山寺本に箸人とあるに従うべきものであろう。) 間人という姓は新撰姓氏録に、左京皇別上 間人宿禰 仲哀天皇皇子誉屋別命之後也。 山城国皇別 間人造 間人宿禰....