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左大将
「左大将〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左大将の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の妙味はなくとも、聞いていて歯の浮くような声ではありません。 「中にも徳大寺の
左大将実定の卿は、旧き都の月を恋ひつつ、八月十日あまりに福原よりぞ上り給ふ、何事....
「余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
。その年のうちにも三月二十八日に閑院大納言、四月十日には中《なかの》関白。小一條
左大将済時卿は四月二十三日、六條左大臣、粟田右大臣、桃園中納言保光卿は、三人とも....
「源氏物語」より 著者:紫式部
であろうと見えた。挿《かざ》しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、
左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨《しぐ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
大な競争者のあるこの宮仕えはかえって娘を不幸にすることではなかろうかと、左大臣、
左大将などもまた躊躇していることを源氏は聞いて、 「それではお上へ済まないことに....
「源氏物語」より 著者:紫式部
人から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた。兵部卿の宮は
左大将の夫人に失恋をあそばされたのであるから、その夫婦に対してもりっぱでない結婚....
「源氏物語」より 著者:紫式部
、衛門督はお返しをしないのである。お預かりのものを取り込んで自身の友にしていた。
左大将夫人の玉鬘の尚侍は真実の兄弟に対するよりも右大将に多く兄弟の愛を持っていた....
「源氏物語」より 著者:紫式部
った。大臣はこの朝恩の厚さを見てもさらに惜しく悲しくわが子が思われるのであった。
左大将は常に親友の病をいたんで見舞いを書き送っているのであるが、昇任の祝いを述べ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
のように今夜は音楽の遊びがあるであろうとお思いになって、兵部卿の宮が来訪された。
左大将も若い音楽に趣味を持つ人々を伴って参院したのであるが、こちらの御殿で琴の音....
「源氏物語」より 著者:紫式部
(晶子) 一人の夫人の忠実な良人という評判があって、品行方正を標榜していた源
左大将であったが、今は女二の宮に心を惹かれる人になって、世間体は故人への友情を忘....
「源氏物語」より 著者:紫式部
でまいってよいという人もございませんから、どうすればよいかと思っております場合に
左大将が力を入れてくださるのでございますから、あなた様御一身について考えますれば....
「源氏物語」より 著者:紫式部
来賓を饗応する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは
左大将が好意で世話をした。宮中、東宮、院の后の宮、中宮をはじめとして、法事へ諸家....
「源氏物語」より 著者:紫式部
扱いをして貴公子の心を多く惹くようにしていた。 御所の正月の弓の競技のあとで、
左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂....
「源氏物語」より 著者:紫式部
の人と認められていた。 左大臣が薨くなったので、右が左に移って、按察使大納言で
左大将にもなっていた玉鬘夫人の弟が右大臣に上った。それ以下の高官たちにも異動が及....
「源氏物語」より 著者:紫式部
任更任の行なわれる際に、薫は権大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで
左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補された....
「俊寛」より 著者:倉田百三
い。 俊寛 わしは短く話します。思いだすのも恐ろしいから。あなたは成親殿が宗盛と
左大将の位を争ったのを知っていますね。 成経 父は宗盛をひどく憎んでいました。法....