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左大弁
「左大弁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左大弁の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
》しいことが沢山ございましたが、中でも一番御気の毒だったのは京極《きょうごく》の
左大弁様《さだいべんさま》で、この方《かた》は京童《きょうわらんべ》が鴉《からす....
「連環記」より 著者:幸田露伴
恰も大江|定基が三河守になっていた時である。定基は大江|斉光の子で、斉光は参議|
左大弁正三位までに至った人で、贈従二位大江|維時の子であった。大江の家は大江|音....
「源氏物語」より 著者:紫式部
などとも言う人があった。衛門督は引きこもっていた昨日の退屈さに懲りて今日は弟の
左大弁、参議などの車の奥に乗って見物に出ていた町で、人の言い合っている噂が耳には....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ず泣き入ってしまうので、衛門督はよく話すこともできないのである。すぐ下の弟である
左大弁に兄はくわしく宮の御事は遺言しておいた。善良な性質の人であったから、弟たち....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ぐった時に、冷泉院から御使いが来た。宮中の御遊がないことになったのを残念がって、
左大弁、式部大輔その他の人々が院へ伺候したのであって、左大将などは六条院に侍して....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
倉の令を仰いでいたのではまにあいませぬ」 「どうしたものか?」 公卿溜りでは、
左大弁資明や鷲尾中納言まで加えて、協議に首を寄せあつめていたが、ほどなく三条の源....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
隆資、同、隆光 左中将|定平 中御門ノ宰相宣明 園の中将|基隆 甘露寺|
左大弁藤長 一条ノ頭の中将行房 坊門の清忠 等々の殿上から、外記、史官、医....