左大臣[語句情報] »
左大臣
「左大臣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左大臣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
たが、その後また、東三条の河原院《かわらのいん》で、夜な夜な現れる融《とおる》の
左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御卻《おしりぞ》けになった時も、若殿様は例の通り....
「駈込み訴え」より 著者:太宰治
馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、
左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。その日のパンにも困っていて、私がやり....
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
じく白い奴袴《ぬばかま》をはいていた。 彼はきょうのあるじの忠通の弟で、宇治の
左大臣|頼長《よりなが》であった。彼は師の信西入道をも驚かすほどの博学で、和歌に....
「連環記」より 著者:幸田露伴
権威者だった藤原道長の妻の倫子に仕えて、そして大に才名を馳せたのであった。倫子は
左大臣源雅信の女で、もとより道長の正室であり、准三宮で、鷹司殿と世に称されたので....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
、近江にも立寄られたのだろうと云っている。そうすれば石上麻呂であるかも知れない。
左大臣石上麻呂は養老元年三月に薨じているから、後人が題詞を書いたとせば、「卿」で....
「鎮西八郎」より 著者:楠山正雄
は、「なるほど。」と思って、よけい為朝をたのもしく思いました。するとその中で一人
左大臣の頼長があざ笑って、 「ばかなことをいえ。夜討ちなどということは、お前など....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
赤兄、中臣金、蘇我果安、巨勢人、紀大人、この五人が特別重臣。特に最も重臣たるのが
左大臣蘇我赤兄ですが、これと同じ名が妙なところに現れています。 諏訪神社の神氏....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
祖、多治比島は持統四年(西紀六九〇年)に右大臣となり、文武四年(西紀七〇〇年)に
左大臣となり、翌年死んだ。この大臣の出現モーローとして煙の如くであるが、彼の執政....
「反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
る家と、どこまでも意地悪く、殆宿命的に憎んでいる家との対立が書かれている。前者が
左大臣家――藤原氏を考えていることは勿論である。――後者は右大臣家である。源氏の....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
遣唐大使の船に乗って日本に来た。 この船はじつに日本にとっては宝の入船で、帰朝
左大臣になり文部卿になり日本の法政、軍政、文政、大学の全般をことごとく整備したと....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
着を重ねておった。久安四年に忠実がそのうち高鞍・大曾禰・本良・屋代・遊佐の五荘を
左大臣頼長に譲ったについて、頼長はその年貢に非常な値上を命じた。 庄名 高鞍庄 ....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
合には、その人は甚だしく身振いするものだと信ぜられていたらしい。今昔物語十九に、
左大臣藤原師尹の侍童が、大臣秘蔵の硯を破って恐れ慄く状を記して、「護法のつきたる....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
家らが選に入らなかったのは、季経らが内大臣通親を動かしたためだといって騒ぎ出し、
左大臣良経に訴えたりして揉めたが、漸く内大臣の沙汰によって情勢一転し、定家・家隆....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
『成恩寺殿御記』を引いて相国寺大塔供養応永六年九月十五日の式のことを書いた中に、
左大臣内大臣以下 一人 布衣侍二人 とある。雑色は江戸時代になっても京に存して....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
れていた。さればその犯罪処罰の場合にも、その扱いが普通の僧侶とは別であった。西宮
左大臣源高明の「西宮記」臨時十一に、 歟。 とある。僧の犯罪については「大宝僧尼....