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左岸
「左岸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左岸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
うなずいてのみ込んだ甘い場面は、今の葉子とは違った人のようだった。そうかと思うと
左岸の崕《がけ》の上から広瀬川《ひろせがわ》を越えて青葉山《あおばやま》をいちめ....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
。 四日(水曜日)曇 早朝起き川原に出でんと下れば途中道あり、それを進む、川の
左岸のみを行きて川原に出で尾根へ取付きなどしてなかなか苦しき道なり、ようやく小日....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
って町家を焼き払った。しかし、浅井が出でて戦わぬので、引き上げて姉川を渡り、その
左岸にある横山城を攻めた。そして、横山城の北竜ヶ鼻に陣して、家康の来るを待った。....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
している好位置で、戦術上地形判断の妙を極めたものであるらしい。凡将ならば千曲川の
左岸に陣取って、海津城にかかって行ったに違いないのである。 『越後軍紀』に「信玄....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
、藤堂隊を迎えその右翼を撃破した。然るに井伊直孝優勢なる銃隊を以て、敵を玉串川の
左岸に圧迫し、木村の軍は裏崩れをし重成戦死す。 「安藤謹んで曰く、今日|蘆原を下....
「谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
立てたところから、滝となって落ちている、もう沢を行かれないので、草を踏み分けて、
左岸の森林の中に迷い込む、木はようやく細く痩せて、石楠花が多いが、その白花はもう....
「春の上河内へ」より 著者:板倉勝宣
いた。沢を伝って目を上に上げて行くと、蝶ガ岳の崩れが白い中に見える。道は一ノ沢の
左岸の中腹をかなり急に登って行く。汗はダラダラと流れる。真白い雪の常念が雪の中か....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
うのだそうで、その名のごとく赭色の崩岩が河原にごろごろしていた。二時間近く下ると
左岸の山腹に道らしきものが見え、暫くして河を横断して筧の懸るのをみた。そこから右....
「層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
、依然として石柱の連続也。石理|殊に明瞭也。水は音なくして、緩かに流る。徒渉して
左岸に移り、石柱の下をつたう。いよいよ鬼神の楼閣の室に入りたる也。右崖一欠したる....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
少しく収まる。午後二時より峡間に入り、右方にパタゴニア州の平原の横たわるを望み、
左岸にティエラ・デル・フエゴ州の小丘陵の起伏するを見る。 船入布、知是波多伍若州....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
、ラウドンを合して十万となり、三万の大王を攻撃する決心を取って更に露軍をオーデル
左岸に誘致するに勉めた。大王は苦境を脱するため種々苦心し色々の機動を試みたが、十....
「釜沢行」より 著者:木暮理太郎
をした。そして偶然ホラノ貝へ下り込んで泊ったのである。二度目には鶏冠谷の入口から
左岸に路のあることを知って、広河原まで二時間許りで行くことを得た。然し此路も去年....
「秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
にて昼食。雨|歇む。午後二時出発。三時十分|小在池沢。四時黒沢。湯沢の合流点より
左岸の道を歩みて五時川俣温泉着、泊。 日光沢には十余の瀑布あり。五万の地図に「光....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
て残雪を見る。九時十分、坂様谷。之より四、五町にして路尽き、河床を辿る。十一時、
左岸に少許の平地を見る。昼食。午後十二時十分出発。十二時四十五分、右岸に頗る多量....
「黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
ョウと称していた。劒沢もツルギといわずツルガと発音した)を過ぎると再び橋を打って
左岸に移るのであるが、此橋の打てるか打てぬかが遡行の可能不可能を決するもので、う....