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「左褄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

左褄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
根岸お行の松 因果塚の由来」より 著者:三遊亭円朝
にしてくれる嬉しさからワイ/\囃しています。この人の女房は、柳橋《やなぎばし》で左褄《ひだりづま》とったおしゅんという婀娜物《あだもの》ではあるが、今はすっかり....
「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
帯を露出する野暮に陥らないところは、抜き衣紋の「いき」としての味があるのである。左褄を取ることも「いき」の表現である。「歩く拍子《ひょうし》に紅《もみ》のはつち....
縮図」より 著者:徳田秋声
に二人の子供をおいて行方知れずになり、自身の手で子供を教育するため、彼女は新橋で左褄を取り、世間のセンセションを起こしたのだった。 銀子が稽古に通っている、千....
仮装人物」より 著者:徳田秋声
庫の二本の鍵、男持の大振りな蟇口――しかし飯を食べながら話していると、次第に昔、左褄を取っていたらしい面影も浮かんで来て、何とも不思議な存在であることに気がつい....
」より 著者:徳田秋声
まじる女たちの話に耳を傾けた。女たちのなかには、京橋の八丁堀で産れて、長く東京で左褄をとっていたという一人もあった。 「ここは駄目です。さアという場合に片肌ぬぐ....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
ォームとは、だから極めて密接な関係がある。丁稚番頭の角帯や大工棟梁の法被、芸者の左褄やヨイトマケの脚袢など、人工的ではなしにおのずから決った職業ユニフォームのよ....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
敷、勿論、晴れの席ではない、卓子台の前へ、右のその三角帽子、外套の態で着座して、左褄を折捌いたの、部屋着を開けたのだのが、さしむかいで、盃洗が出るとなっては、そ....
一九二七年春より」より 著者:宮本百合子
ぜ 寒天下落だよ 中央蚕糸 紅怨《うらみ》 紫恨《つらみ》 ◇二度の左褄 上諏訪二業 歌舞伎家ではさきに 宗之助 初代福助の菊五郎の二人が古巣恋し....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
どく徹底した国民的施設である。 キタイスカヤには黒い建物とでこぼこと自動車から左褄を取り、露西亜人のよっぱらいが支那の巡警に管をまき、それらのうえにぼやけた灯....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
に胸をうたれて途方にくれたことがある。これが、あのはなやかに、あでやかに見える、左褄《ひだりづま》をとる女《ひと》の背《せびら》に負う影かと―― 平右衛門町の....
丹下左膳」より 著者:林不忘
、というよりも、諏訪栄三郎の妻お艶が、ふたたび浮き世の浪に押され揉まれて、慣れぬ左褄《ひだりづま》を取る仮りの名であった。 伊達《だて》の素足に、意地と張りを....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ていたが、遂に家はつぶれ、私の中学時代にその姉さんは三次の料亭に芸者に売られた。左褄をとったその人に私は時々出遇い、さそいをかけられたが、美しくなくはないが、ど....
柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
にも言えなかったのだ。若くて死んだお母さんは、柳橋でお良《りょう》さんと名乗り、左褄《ひだりづま》をとった人だった。姉さんは吉原芸妓の名妓だったが、その老女は、....
」より 著者:矢田津世子
た。 三 姉の話によるとおきえさんは生粋の新潟美人で、何んでも古街で左褄をとっていた頃父に落籍されたとのことであった。海岸に近い静かな二葉町に家を構....
申訳」より 著者:永井荷風
ヤ日ニ従テ新陳代謝シ四方ヨリ風ヲ臨ンデ集リ来レルモノ多シ。曾テ都下狭斜ノ巷ニ在テ左褄ヲ取リシモノ亦無シトセズト。予之ヲ聞イテ愕然タリ。其ノ故ハ何ゾヤ。疇昔余ノ風....