左顧右眄[語句情報] »
左顧右眄
「左顧右眄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
左顧右眄の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「斗南先生」より 著者:中島敦
行かなかった。伯父の一つの道への盲信を憐れむ(あるいは羨む)ことは、同時に自らの
左顧右眄《さこうべん》的な生き方を表白することになるではないか。して見れば彼自ら....
「空車」より 著者:森鴎外
い大男である。それが肥えた馬、大きい車の霊ででもあるように、大股に行く。この男は
左顧右眄することをなさない。物にあって一歩をゆるくすることもなさず、一歩を急にす....
「青年」より 著者:森鴎外
来るかとさえ思われる。今から溯って考えて見れば、ゆうべは頭が鈍くなっていたので、
左顧右眄することが少く、種々な思慮に掣肘せられずに、却って早くあんな決心に到着し....
「概念と心其もの」より 著者:宮本百合子
る方面に伸展させて行こうとする願望と一緒に、同じ心の中から、この歩幅を縮めさせ、
左顧右眄《さこうべん》させて、終《つい》に或る処まで、見越をつけさせて仕舞うよう....
「若き世代への恋愛論」より 著者:宮本百合子
れている現実の環境とその推移の本質を見とおし、恋愛においても、偸安に便利な条件を
左顧右眄《さこうべん》して探すのではなく、愛しうるひとを愛し抜こうとしてゆく人間....
「巴里のむす子へ」より 著者:岡本かの子
的なものが運命をそう招いたと思うより仕方がない。だが、すでにこの道に入った以上、
左顧右眄すべきではない。殉ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまで....
「異邦人の意欲」より 著者:豊島与志雄
、多くは異邦人の歎を経験する。 民衆の生活は、緩慢で鈍感である。強力であって、
左顧右眄をしない。牛の如きものである。殊にその生活が現代のように貧窮し逼迫してく....
「雁」より 著者:森鴎外
るまでには気の毒な程迷って、とつおいつする癖に、既に決心したとなると、男のように
左顧右眄しないで、〔oe&ille`res〕 を装われた馬のように、向うばかり見....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
っていうんだが、中だけに、始末がわるいな。いちいち、訊いて歩くのもへんだし」と、
左顧右眄、忙しげである。「だいじょうぶ、富田さん」と、後ろの、われわれ。「分かっ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
も知らぬ。公表する位なら其の説明が十分親切でなければならぬ。気の弱い自分が兎角に
左顧右眄して言葉を濁したのは恥かしい事である」(二巻一二号七頁)と述懐せられたの....
「茸をたずねる」より 著者:飯田蛇笏
ゆく。そうすると今までもの静かであった四辺が俄に騒々しいような気がして、何となく
左顧右眄せしめらるるような気がしてくる。粂吉も連れず一人でそんなところを歩いてい....