左馬助[語句情報] » 左馬助

「左馬助〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

左馬助の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古千屋」より 著者:芥川竜之介
だった。)この使に立ったのは長晟の家来《けらい》、関宗兵衛《せきそうべえ》、寺川左馬助《てらかわさまのすけ》の二人だった。 家康は本多佐渡守正純《ほんださどの....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
日|寅《とら》の刻に出馬した。松平|筑前守利常《ちくぜんのかみとしつね》、加藤|左馬助嘉明《さまのすけよしあき》、 黒田|甲斐守長政《かいのかみながまさ》を第一....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
族の叛乱であるが、この外に東隣今川氏の部将との交渉がある。愛知郡鳴海の城主で山口左馬助と云うのが織田信秀の将として今川氏に備えて居た。信秀が死んで信長の代になる....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
信玄の弟)、原隼人佐、安中昌繁等。又竹広表へは、先鋒山県三郎兵衛昌景承り部将武田左馬助信豊(信玄弟の子)、小山田|右兵衛信茂、跡部大炊助勝資等。勝頼自らは、前衛....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
きに服し、京都包囲の巨魁たる益田、国司、福原|三太夫の首級を差し出し、参謀|宍戸左馬助以下を萩城に斬り、毛利大膳父子も萩の菩提寺天樹院に入って謹慎を表したのであ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
説明すると、元来この松山城は、もと海岸の松前という所に在って、徳川の初年には加藤左馬助嘉明が住んでいたが、規模が小さいので、この松山へ城替えをした。その時、松前....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
らしていた。そこへ北条氏康が攻めてきた。 氏康の軍勢は氏政従臣松田尾張入道、同左馬助、大道寺駿河守、遠山豊前守、波賀伊像守、山角上野介、福島伊賀守、山角紀伊守....
私本太平記」より 著者:吉川英治
る――一変事を告げていた。 先月。 四月中のことという。 義貞の一族、新田左馬助義氏の軍が、ふいに三河を襲ッて、吉良ノ庄から一色郡のあたりを荒しまわった。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
れこそ奇ッ怪事だ。なんとなれば、ゆうべから今暁のあいだに、江田ノ兵部行義と、大館左馬助|氏明のふたりだけが、いずこへか、陣所を移し去っておりまする。……どうも日....