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已上
「已上〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
已上の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
て親父は二百四十石|領りました、松蔭大之進の家に生れた侍の胤、唯今ではお目見得|
已上と申しても、お通り掛けお目見えで、拙者|方では尊顔を見上ぐる事も出来ませんか....
「巌流島」より 著者:直木三十五
可申候間《まいりもうすべくそろあいだ》、左様ニ可被思召候《おぼしめさるべくそろ》
已上《いじょう》 宮本武蔵 四月十二日 佐渡守様 ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
嫌うからだ。さてこの土堤に捨てられた角は、日数経て一|掌《パーム》、もしくはそれ
已上《いじょう》長き根を石だらけの荒地に下す事、草木に異《かわ》らず、他に例もな....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
かい》郡の生まれ、李玄石と名づく、やはり辺先生の所へ学びに往く、かく道伴れとなる
已上《いじょう》は兄弟分になろうと言い出たので、子珍も同意し、定州に至り飲酒食肉....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
のがある。 「私妹此度藤村十兵衛世倅規矩太郎妻に所望御座候に付、応下候頼存候、
已上。 慶応三年丁卯四月十一日 河上源介」 この控には、「四月二十七日被下....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
七日条には、由利八郎の語を録していう、「故御館(泰衡)は秀衡将軍嫡流の正統たり。
已上三代鎮守府将軍の号を汲む云々」と。当時すでにこの系図は信ぜられたりしなり。そ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
郎の梶原景時を罵倒するの言を記して、「故御館(泰衡)は秀郷将軍嫡流の正統として、
已上三代鎮守府将軍の号を汲む」とあって見れば、奥州においてもかく主張していたこと....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
右は、若年より、心にかけ、数年たんれん致し候間、お尋ねにおいては、申しあぐべく候
已上。 寛永十七年二月宮本武蔵 このほかに、熊本奉行所日記には、当時の武蔵....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
数合六百三十六人、内男三百二十五人、女三百十一人。右は当村の人数当子の五月改当歳
已上云云」とあるのは、所謂役人村たる旧六条のみで、出村を除いた数か。不審。延享元....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
に申上度候と申、則書付持参仕候事 口上 一、今度私共国方に、皮田村とちやせん忝候
已上。 正徳二辰年七月 備後国福山皮田三吉村 三八九郎助 同 関助 京都皮....