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市川団十郎
「市川団十郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
市川団十郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
のか、いずれにしても江戸っ子らしい討死ですね。 河原崎権十郎は後に日本一の名優
市川団十郎になりました。 春色梅ごよみ 一 思い出すと、そのころ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
土産話が芝居好きな土地の人たちをうらやましがらせた。名古屋の若宮の芝居では八代目
市川団十郎が一興行を終わったところであったけれども、橘町の方には同じ江戸の役者|....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
んのためにそういう名がついているのか知らない。それとも江戸から続いて有名な役者|
市川団十郎《いちかわだんじゅうろう》の代々が、大きな眼玉で通っているので、片っぽ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
きらいだったのに連れていっては失敗していた。新富座《しんとみざ》に時の大名優九世
市川団十郎が「渡辺崋山《わたなべかざん》」をして、切腹の正念場の時、私は泣出した....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
琴が素《もと》で、竹琴《ちっきん》、一絃琴などが参酌されたものと思われる。九代目
市川団十郎が『忠臣蔵』の大石|内蔵之助《くらのすけ》で、山科《やましな》の別れに....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
にかかったことがある、俳句の方で内藤鳴雪翁は何かの折によく見かけたものだ、俳優で
市川団十郎は見たといい切れないほどの印象であることを遺憾とする、先代菊五郎は見な....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
していた。 「三津五郎さん、おいでかな」 ある日こう云って訪ねて来たのは七代目
市川団十郎であった。 「これはこれは成田屋さんようこそおいでくだされた。さあさあ....
「市川九女八」より 著者:長谷川時雨
年をとった師匠の舞台の世話を見ている。 名人と呼ばれ、女団十郎と呼ばれ、九代目
市川団十郎の、たった一人の女弟子で、九女八という名をもらっている師匠が、歌舞伎座....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
上の乞食かな と白《もう》したほどのばからしさが、新富座開場式には、俳優の頭領
市川団十郎をはじめ、尾上菊五郎、市川左団次から以下、劇場関係者一同、フロックコー....
「九代目団十郎の首」より 著者:高村光太郎
九代目
市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
分の芸に就ては、何等の不安もないと共に、十分な自信を持っていた。過ぐる未年に才牛
市川団十郎が、日本随市川のかまびすしい名声を担うて、東からはるばると、都の早雲長....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
物 左団次の渥美五郎――劇場の福草履――島原の芝居――劇場外の散歩――「勧進帳」
市川団十郎 団十郎の部屋――芝居の改良はこれから――芝居の飲食物――外国人の書面....
「島原の夢」より 著者:岡本綺堂
高で、眼の大きい、顔の輪廓のはっきりして、一種の気品を具えた男まさりの女、それは
市川団十郎である。大判司に対して、成駒屋の声が盛んに湧くと、それを圧倒するように....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
《しちさ》、永島茂右衛門《ながしまもえもん》、宮島伝吉、藤田小三郎、山中平九郎、
市川団十郎ら声名ありし時代を中昔《なかむかし》となしぬ。正徳より享保の末《すえ》....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
もの続々あらわる。 ○七月、芝新堀に河原崎座の新築落成して開場。市川三升は九代目
市川団十郎を襲名して座主となる。時に三十六歳。 ○九月、嵐璃鶴は満期出獄して団十....