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市川左団次
「市川左団次〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
市川左団次の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
旅立ちは西の方がいいとこの通り易のオモテに出ている。お前は三碧木星で、菅原道真や
市川左団次なぞと同じ星廻りだから、三十四から四十までの間が一番災難の多い大切な時....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
。この座の座頭は沢村|訥升《とつしょう》、立女形は弟の田之助、書出《かきだし》は
市川左団次であった。田之助は私が藩地にいる頃より継母方の伯母の山本が江戸から持帰....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
という字が手拭一ぱいの熨斗《のし》の模様になって、莚升《えんしょう》と書いてある
市川左団次の配り手拭をとらせると、上手に姐《あね》さんかぶりにして、すっと立上る....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
越前守(坂東彦三郎)天一坊、白石治右衛門(尾上菊五郎)山内伊賀之助、吉田三五郎(
市川左団次)等であった。 明治以後の黙阿弥作として最もよく知られているものに「....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
暗然として涙を呑むばかりだ。 それから大震災の後、本郷座の復興第一興行に当って
市川左団次君の一座でこの大菩薩峠を興行したことがある。 その時余輩は高尾山に住....
「俳優倫理」より 著者:岸田国士
躍自分の名声を高めたという例が沢山あります。日本でも、割に近い例で、この間死んだ
市川左団次が、岡本綺堂という作者がいた為に俳優としても非常ないい仕事をすることが....
「市川九女八」より 著者:長谷川時雨
《いつ》、九女八とおなんなすった。」 「さあ、たしか、新富町《しんとみちょう》の
市川左団次《たかしまや》さんが、謝《わび》に連れてってくだすって、帰参《きさん》....
「遠藤(岩野)清子」より 著者:長谷川時雨
の晩で、十年前のこの月廿五日の宵《よい》だった。そして、自由劇場再進出の計画が、
市川左団次《いちかわさだんじ》によって実現されようとしている。 私は、霜白き暁....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
ほどのばからしさが、新富座開場式には、俳優の頭領市川団十郎をはじめ、尾上菊五郎、
市川左団次から以下、劇場関係者一同、フロックコートで整列し、来賓には、三条|太政....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
四郎なども、ひとえにあの立派な容貌と、堂々たる体躯に頼っている。最近故人になった
市川左団次も同様である。 源之助の演技について考えてみると、いつも彼の芸はその場....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
のである。市村座は元地の猿若町から移転して、去年の十一月に新築開場式をおこない、
市川左団次、市川権十郎、坂東|家橘などの顔ぶれで、一番目は「賤嶽七本槍」、二番目....
「島原の夢」より 著者:岡本綺堂
けた美少年が殊勝げに経巻を読誦している。高島屋とよぶ声がしきりに聞える。美少年は
市川左団次の久我之助である。 姫は太宰の息女|雛鳥で、中村福助である。雛鳥が恋....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
依然として不振の状態をつづけ、各座いずれも経営に苦しむ。 ○三月、守田座において
市川左団次の丸橋忠弥初演、大好評。 ○四月、三代目沢村田之助、再び脱疽のために残....