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「市村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

市村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
槍が岳に登った記」より 著者:芥川竜之介
から中をのぞきこんでおおいと言うとおおいと反響をしたのが思い出される。まるいのは市村の麦わら帽子、細長いのは中塚の浴衣《ゆかた》であった。黒いものは谷の底からな....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
も有名な浄土宗の寺で、猿若《さるわか》の中村勘三郎代々の墓があるせいか、ここには市村羽左衛門とか瀬川菊之丞とかいったような名優の墓がたくさんありました。その隣り....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
手をふって屋敷を出てゆく。そのうちに一つの事件が出来した。というのは、文久二年の市村座の五月狂言は「菖蒲合仇討講談」で、合邦ヶ辻に亀山の仇討を綴じあわせたもの。....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
見えて、その年の十二月、紫紅君は新派の河合武雄君に頼まれて史劇「みだれ笹」一幕(市村座)を書いた。山岸荷葉君もこの年、小団次君らのために「ハムレット」の翻訳史劇....
陽炎座」より 著者:泉鏡花
……嵐 お萩 一………………………………坂東あべ川 一………………………………市村しる粉 一………………………………沢村さしみ 一………………………………中村....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。 ◇ 前述もしたように、とにかく江....
作画について」より 著者:上村松園
と一倍興味深く読み覚えていたせいもありましょう。 私が一番最初に通った儒学者は市村水香先生で、その市村先生のところへは夜分漢学の素読やお講義を聴きに参りました....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
には、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます。若い時は市村水香先生に漢学を、長尾雨山先生に漢詩の講義など聴いて勉強いたしました。時代時....
孟母断機」より 著者:上村松園
。 「孟母断機」の図を描いたのは、明治三十二年であった。 そのころ、わたくしは市村水香先生に就いて漢学を勉強してい、その御講義に、この話が出たので、いたく刺戟....
火に追われて」より 著者:岡本綺堂
難の準備に取りかかろうとはしなかった。 最後の見舞に来てくれたのは演芸画報社の市村君で、その住居は土手三番町であるが、火先がほかへ外れたので幸いに難をまぬかれ....
当今の劇壇をこのままに」より 著者:岡本綺堂
ら見れば幼稚でもあり、進まないであろうが随分と進んでは来ている、昨年、歌舞伎座と市村座で骨寄せの岩藤を演じたが、先代菊五郎の演った一昔の前には見物は喜んで見てい....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
と同じ舞台に立っていた。その黄金時代は明治二十三年であった。 二十三年の七月、市村座――その頃はまだ猿若町にあった――で黙阿弥作の『嶋鵆月白浪』を上演した。新....
想い出」より 著者:上村松園
得まして、幸野楳嶺先生の塾で勉強致して居りましたが、楳嶺先生の御紹介で、衣の棚の市村水香先生の漢学塾に通いまして、『左伝』とか、『十八史略』とかの輪講を受けまし....
」より 著者:岡本かの子
なりやせん。いとど心はうば玉の夜の寝伏しの手枕や手枕や ――やんややんや、この頃市村座でやっている「振袖|信田妻」二番目の所作唄だな。 ――いくら化されぬよう要....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
んに気勢を挙げた。 その日私は、先日なくなられて早稲田大学政治経済部葬になった市村今朝蔵氏が英国で勉強する為に――洋行するので、横浜に見送りに行っていて、発会....