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「市村座〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

市村座の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
手をふって屋敷を出てゆく。そのうちに一つの事件が出来した。というのは、文久二年の市村座の五月狂言は「菖蒲合仇討講談」で、合邦ヶ辻に亀山の仇討を綴じあわせたもの。....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
見えて、その年の十二月、紫紅君は新派の河合武雄君に頼まれて史劇「みだれ笹」一幕(市村座)を書いた。山岸荷葉君もこの年、小団次君らのために「ハムレット」の翻訳史劇....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。 ◇ 前述もしたように、とにかく江....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
したる見せ場もない芝居だけに問題にもならなかった。 三十年十一月には、菊五郎が市村座で「塩原多助」を再演している。今日と違って、五、六年間に同じ狂言を繰り返す....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
佐竹の通りには馬肉屋が数軒あったが、私はそういう処に入ることを知らなかった。ただ市村座の向側に小さい馬肉の煮込を食わせるところがあり、その煮方には一種の骨があっ....
東京宝塚劇場の再開に憶う」より 著者:小林一三
私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋演舞場・帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたと....
おせん」より 著者:邦枝完二
ねえぜ」 火事場の纏持のように、息せき切って駆け込んで来たのは、同じ町内に住む市村座の木戸番長兵衛であった。 伝吉はぎょっとして、もう一|度長兵衛の顔を見直....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
」の訂正――狂言作者志願――浄瑠璃本濫読――黙阿弥の正本 鶴蔵と伝五郎 猿若町の市村座――新蔵のお三輪――弥次喜多の芝居――磐梯山噴火――盂蘭盆の舞台面 「文覚....
当今の劇壇をこのままに」より 著者:岡本綺堂
ら見れば幼稚でもあり、進まないであろうが随分と進んでは来ている、昨年、歌舞伎座と市村座で骨寄せの岩藤を演じたが、先代菊五郎の演った一昔の前には見物は喜んで見てい....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
と同じ舞台に立っていた。その黄金時代は明治二十三年であった。 二十三年の七月、市村座――その頃はまだ猿若町にあった――で黙阿弥作の『嶋鵆月白浪』を上演した。新....
」より 著者:岡本かの子
なりやせん。いとど心はうば玉の夜の寝伏しの手枕や手枕や ――やんややんや、この頃市村座でやっている「振袖|信田妻」二番目の所作唄だな。 ――いくら化されぬよう要....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
穏のため、猿若町の三座とも正月興行を休み、二月に至りて漸く開場。 ○五月十五日、市村座と守田座の開演中に、上野彰義隊の戦闘あり。その後も市中おだやかならず、劇界....
三の酉」より 著者:久保田万太郎
菊五郎、吉右衛門という二人の若い役者。……その人気によって盛り上げられたいわゆる市村座時代は、また、東京の、新橋、赤坂、葭町、柳橋といった、それ/″\の花柳界に....
春泥」より 著者:久保田万太郎
費した。――かれとして有頂天にならざるをえなかった。 ちょうどそのころである。市村座で『闇黒世界』という西洋|種の新狂言をやることになった。「本読」を聞くと、....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
門から三田の教室へ行った。子供達はまだ小さくて、芝公園の幼稚園へ通った。 私は市村座の顧問に雇われて、ここから殆ど毎日下谷の二長町へ通った。菊五郎が芝公園に住....