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帝国劇場
「帝国劇場〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帝国劇場の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「老妓抄」より 著者:岡本かの子
中には思いがけない素人や芸人もあった。 中国の名優の梅蘭芳《メイランファン》が
帝国劇場に出演しに来たとき、その肝煎《きもい》りをした某富豪に向って、老妓は「費....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
われら素人の脚本はもう歌舞伎座で上演される見込みは絶えてしまった。 その当時に
帝国劇場はなかった。新富座はたしか芝鶴が持主で、又五郎などの一座で興行をつづけて....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
もののように、耳を澄ましていた。かつて彼女は、庸三の家へ入りたてのころに、独りで
帝国劇場へ女優劇か何かを見に行ったことがあった。その時多分彼女のどうかした表情が....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
った様なデカの死骸を葬った。
(大正二年 二月十七日)
ハムレット
帝国劇場で文芸協会のハムレットがある。芝居と云うものを久しく見ず、評判の帝国座も....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
た劇場の無いのを、淋しがる日がくるであろう。 東京劇場、新橋演舞場、歌舞伎座、
帝国劇場と、華美をつくした劇場をもっている東京が、収支つぐなわなくなるか? 中座....
「香奠」より 著者:豊島与志雄
月の初めに、私は夢にも思わなかったことにぶつかったのです。 母上 その時私は
帝国劇場の食堂で、一人ちびりちびり酒をのんでいました。何だかひどく憂鬱だったので....
「東京宝塚劇場の再開に憶う」より 著者:小林一三
私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋演舞場・
帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたところ、充分成功する見透しがつい....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
対照物について、私は老いの繰り言を、こぼさざるを得ないのである。それは東京会館と
帝国劇場とである。 この二つの建物は昭和十一年、世界を一周して帰国すると、ただ....
「死の接吻」より 著者:小酒井不木
性に奉仕することは困難である。その証拠に、ある天才音楽家は新らしい女を妻として、
帝国劇場のオーケストラで指揮をして居る最中に俄然卒倒した。招かれた医師は、患者の....
「小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
学士会(北村喜八代読)三田文学(久保田万太郎氏)松竹興業株式会社(井上伊三郎氏)
帝国劇場(山本久三郎氏)新劇協会(畑中蓼坡氏)左翼劇場(小野宮吉氏)新思潮社(青....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
に時代おくれの、小芝居廻りの老いたる女役者として、その余生を送るに過ぎなかった。
帝国劇場が開かれて、そこに女優という新しい名のおんなたちがたくさん現われてから三....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
完備せり。市外および公園をも車上より一瞥す。当市第一の壮観はやはり劇場なり。わが
帝国劇場よりも壮大なるを覚ゆ。 二十日、晴れ。サンパウロより二百二十五マイルを....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
し、有楽座にてショウの「馬泥坊」、チェホフの「熊」を上演。 ○三月一、二の両日、
帝国劇場は開場式を行い、四日より興行す。狂言は山崎紫紅作「頼朝」と「伊賀越」「羽....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
りませんが、やはり旧時の記念として、今以て歌舞伎座のような立派な建築物でも、また
帝国劇場のような新しいハイカラなものでも、彼らは自らこれを小屋と称しております。....
「春泥」より 著者:久保田万太郎
四十一年。……一がいに茶屋や出方を止そうとなすってみごとおしくじりなすった。――
帝国劇場というものが出来て、茶屋も出方もつかわないあたまで西洋式の切符制度という....