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帝国学士院
「帝国学士院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帝国学士院の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
く腹立たしいものでなければならない。 ある日上野の科学博物館裏を通ったら、隣の
帝国学士院の裏庭で大きな白犬の写真を撮っていた。犬がちっとも動かないでいつまでも....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
伊豆守信綱の献策であるということである。 なおこの事に関する我輩の考証は、先頃
帝国学士院に提出し、「
帝国学士院第一部論文集」第一号として出版されているが、それ....
「地図をながめて」より 著者:寺田寅彦
できたものである。もっともこの測量には多大の費用がかかるのであるが、それは幸いに
帝国学士院や、原田積善会、服部報公会等の財団または若干篤志家の有力な援助によって....
「今日の文学と文学賞」より 著者:宮本百合子
年度の『雑誌年鑑』の見本の一隅に、文化、文芸賞要覧というのがあって、そこを見たら
帝国学士院賞や文化勲章までを入れて凡そ二十二種の賞の名が並んでいた。数の上では文....
「今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
四六年吉田内閣当時に学術組織改組準備委員会がつくられた。日本の官学学術機関である
帝国学士院、学術研究会議、日本学術振興会などの長老組織を改組する目的で一五名の委....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
」という財団法人を設立し、百万円の基金による利子の内年五千円を、学術研究費として
帝国学士院へ、残りの利子を有望な学者と貧困な学生とに給費することにしたそうである....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
る立場を棄てて永年宮中に奉仕せられ学界とは縁を絶っている」云々というが、現に氏は
帝国学士院会員で一代の碩学たる学界公認の人物ではないか。而も氏は、恰も憲法の解釈....
「観点と距離」より 著者:寺田寅彦
ある日、浜町の明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。それは上野の科学博物館とその裏側にある
帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである。この二つの建築物の前を月に....
「工学博士末広恭二君」より 著者:寺田寅彦
所長事務取扱の職に留まってこの揺籃時代の研究所の進展に骨折っていた。昭和二年には
帝国学士院会員となった。 昭和六年の秋米国各大学における講演を頼まれて出張し、....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
していつまでも光彩を放っている。宜《む》べなる哉、後ち明治四十五年(1912)に
帝国学士院から恩賜賞ならびに賞金を授与せられる光栄を担った。 このイチョウの実....
「数学史の研究に就きて」より 著者:三上義夫
爾ではあるまい。 翻ってわが国内の事情を見るに、明治三十九年に故菊池大麓博士は
帝国学士院で和算史調査の事業を起こし、『大日本数学史』の著者遠藤利貞翁がその算書....
「十五年」より 著者:山本実彦
をして、至るところ、偉人としての風貌を慕われた。そして、帝室の御殊遇を始めとし、
帝国学士院でも前例のない歓迎辞を穂積院長の名を以て公にした。その内容は、「ガリレ....