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「帝展〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

帝展の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
日清戦争頃から明治三十年前後にかけて揚巻が流行りました。先年|鏑木清方さんが帝展に出された「築地明石町」の婦人が結ってたのがそれですが、今でもあいさにあれを....
沼畔小話集」より 著者:犬田卯
」 すると男爵は視線をあちこちさせて、 「小川……小川、先生……そう、あの方は帝展でしたな。有名な方ですな。」 「いや、院展の方で……」と正直なM教師は答えた....
女の話・花の話」より 著者:上村松園
かなか埓があきません。それに五月一日からの京都市主催の綜合展の出品画――長いこと帝展をやすんでおりますから、その埋め合せと申すのでもありませんが、今度は何か描い....
画道と女性」より 著者:上村松園
なのだから、それに取合せるのにはやはり風俗は同じ頃がいいと思い、人物の年輩は嘗て帝展に出品した後ろ向きに立った年増の婦人を想い浮かべた。品のある優雅な町方の上流....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
(推薦) 同 七年 「焔」文展第十二回出品「天人」 同 十一年 「楊貴妃」帝展第四回出品 同 十五年 「娘」聖徳太子奉賛展出品「待月」帝展第七回出品 昭....
絹と紙の話と師弟の間柄の話」より 著者:上村松園
は上手になるためでなくて名を挙げるためだという風に見え過ぎます。毎年のことですが帝展前になりますと草稿を持って何人も何人もの先生の処に見て貰って廻わる若い人の話....
京のその頃」より 著者:上村松園
っちかと言えば徳川時代の面影を半ばは残して、一入懐かしいものがあった。 この間帝展に出品した「母子」は、その頃への私の思い出を描いたものだが、いわば私一人の胸....
謡曲仕舞など」より 著者:上村松園
あるということを、何よりも嬉しいと思っているのです。 ○ 去年の春の帝展には、あの不出品騒ぎで、私も制作半ばで筆を擱いてしまっていますが、すでに四分....
虹と感興」より 著者:上村松園
ったものはなかなか、二度と再び出かそうといっても、とても出来そうには思えません。帝展は東京と、こちら(京都)で二度見ました。いろいろ婦人画も見ましたが、善悪可否....
帝展の美人画」より 著者:上村松園
内緒でこっそりと東京まで帝展を見に行って来ました。 この頃の帝展はいつの間にか、私にはしっくりしないも....
四条通附近」より 著者:上村松園
、江戸時代の面影が半ば残っていて一入なつかしいものがあった。 先年(昭和九年)帝展に出した「母子」は、あの頃への思い出を描いたものであるが、いわば、わたくしひ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
の新らし物好きの文明開化人を初め大官貴紳までが見物に来た。人気の盛んなのは今日の帝展どころでなかった。油画の元祖の川上冬崖は有繋に名称を知っていて、片仮名で「ダ....
古い記憶を辿って」より 著者:上村松園
人であったという事は、私にも言えます。 私の若い時分は、今のように、文展とか、帝展とかといった、ああいう公開の展覧会というものが、そんなに沢山ありませんでした....
芙蓉の花にも似た美しい楊貴妃を」より 著者:上村松園
帝展の方も大分出品しなかったので今年は思い立って……それも近頃取りかかったばかり....
鉄の処女」より 著者:大倉燁子
。智恵子は運転手に何か云っていましたが、軈てたった一人で寛永寺の門を出て、静かに帝展へ入りました。 三十年も過ぎると流行というものは再び戻って来るものでしょう....