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帰化人
「帰化人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帰化人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
また山城へひきかえして、筒木というところへおいでになり、そこに住まっている朝鮮の
帰化人の奴里能美という者のおうちへおとどまりになりました。 天皇はすべてのこと....
「土俗玩具の話」より 著者:淡島寒月
これが今日|子育馬として同地方に伝わったものである。日向の鶉車というのは朝鮮の一
帰化人が一百歳の高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝っ....
「勉強記」より 著者:坂口安吾
そのころチベット語の大家山口恵海先生の所説で、古来から高麗人と称びならわしていた
帰化人たちがチベット人ではないかという発表があった。現に高麗の言葉というウズマサ....
「無人島に生きる十六人」より 著者:須川邦彦
将来は、水産日本に大きな働きをみせようとこころざす、けなげな青年。 小笠原島の
帰化人が三名。この人たちは、昔のアメリカ捕鯨船員の血をうけていて、無人島小笠原が....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
で、ハニワが出るのは他の関東の古墳に通じている。ヒノクマ、今水、今居というような
帰化人の居住を考えさせる名も多く、その子孫が丹党のようだ。 ところが、賀美郡賀....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
民に人気があったわけですよ。スサノオ。オキナガタラシヒメ。建内スクネ。ヒノクマの
帰化人たち。変ったダンナやオンナのヒトは色々といるけれども、神話という太古の湖が....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の人名にヒノクマとあるところから、百済の聖明王が欽明天皇に伝えた仏教と別系統に、
帰化人の誰かが私人的に将来し崇拝していたのが起りだろうとも考えられているようだ。....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
素として、右の三者を数うるものなり。もとよりその委曲に渉りてこれを論ずれば、韓漢
帰化人の後もあるべし。いわゆる天神地祇の裔孫もまたこれなきにあらじ。しかも大体に....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
が用いられているのである。しかるにそのヒトの語がだんだん拡張せられて、先住民なり
帰化人なりの、天孫民族に同化融合されて成立した、一般日本民族に対して用いられる事....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
本民族とは、前々からこの島国に居た先住の土人なり、後に海外から多数に移住して来た
帰化人なりが、ことごとく天孫民族の暖い懐に抱擁せられて、完全に同化融合し、同一の....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
とかいうことを説くものもあります。民族上の問題は後に申し述べますが、穢多必ずしも
帰化人の後ではありません。よしや
帰化人の後であると致しても、我が国では民族の異同....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
うのも十分でない。エタを以て屠者だというのも十分でない。これをアイヌだ、漢・韓の
帰化人だなどというに至っては、無論毫も採るに足らぬ。エタの源流は右述べた如く、す....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
はない。しかしながら、これはもちろん甚だしい誤解である。我が古代において、それが
帰化人である、外国人であるというの故を以て、これを差別したという事実はない。既に....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
、私は私の多年の研究の結果により、責任をもって断言しうるのであります。俗にエタは
帰化人の子孫だの、捕虜の子孫だのなどいうことは、ひとつも信ずるに足らないのであり....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
この歴史についてはくだらぬことを考えております。いわゆるエタは土人の子孫だとか、
帰化人の子孫だとかよく言います。あるいはそんな由来の人々もありましょう。しかしそ....