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帰洛
「帰洛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
帰洛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
やった。その葉の虫食いを続けて読めば、帰雁二どころの騒《さわ》ぎではない。『明日
帰洛《みょうにちきらく》』と云うのもある。『清盛横死《きよもりおうし》』と云うの....
「俊寛」より 著者:菊池寛
ったと思った。今死んでは犬死にであると思った。が、死のうという心は変らなかった。
帰洛の望みを永久に断たれながら暮していくことは、彼には堪えられなかった。二十間ば....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
。翌文明三年尼公が執行作善の時には、実隆は叔父親長とともに出向き、親長は二泊して
帰洛したとある。このころの実隆は主として母尼公とともに鞍馬の方に住居し、時々京都....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨《せんじ》で
帰洛《きらく》のことの決まったのはうれしいことではあったが、明石《あかし》の浦を....
「四十八人目」より 著者:森田草平
生きて人交りができなかった。彼もその精神に押しだされたのである。そして、内蔵助の
帰洛に随行して、上方へ上って、しばらく京阪の間に足をとどめていた。 時代の精神....
「俊寛」より 著者:倉田百三
やしく基康に捧げる) 基康 つつしんできけ。(赦文を読む)重科|遠流を免ず。早く
帰洛の思いをなすべし。このたび中宮ご産の祈祷によって非常のゆるし行なわる。しかる....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
主は、繊細微妙な笑い方をしたが、 「お疑いさえ晴れましたら、貴郎様には直ぐにもご
帰洛、ここ聚楽第の主として、いぜんとして一ノ人関白職、どのような栄華にでも耽けら....
「法然行伝」より 著者:中里介山
むべし」 と云われたそうである。 同年八月に法然の命を受けて、伊予に下りて又
帰洛し一宗の奥を極め、元久元年八月上旬に吉水の禅室を辞して、鎮西の故郷に帰り、浄....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
禁されても、実朝の心に萌え出ないとは限らない。幕府の大世帯ができ上って、政治的に
帰洛の見込みのなくなったところでは、都の文化に対する渇望が一層つよくならぬとはい....
「三国志」より 著者:吉川英治
屋の中において、書物など読みながら、手不足な番兵の代りなど勤めている日もあった。
帰洛して、ひとまず軍務もかたづくと、こんどは、山積している内外の政務が、彼の裁断....
「三国志」より 著者:吉川英治
シ任トスル武門ノ棟梁デハナイカ。仁者相争ウヲ嘲ッテカ天ハ洪々ノ春水ヲ漲ラシ、君ノ
帰洛ヲ促シテイル。賢慮セヨ君、再ビ赤壁ノ愚ヲ繰返スコトナキヲ。 建安十八年春二月....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
坊と申す者」 「八荒坊か。覚えておこう」 「して、あなた様には、東大寺|行幸の御
帰洛にも供奉なされず、軽いお身装で、そもいずこへ」 「わしか。わしは絵所の絵師だ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
るな。ここが助かるような身の武運なら、先々とても、首尾はよかろう。豊麻呂、いずれ
帰洛のうえには、都からよい沙汰するぞ」 菊王は、棹を取って、すぐ岸を突いた。 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の待ち伏せに陥る道誉でもないつもりだ。お案じあるなよ、策なきにしもあらず、いずれ
帰洛の後、あらためて御見に入ろう。ご辺こそ、ずいぶんお身大事にしておられよ」 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
うに、何がそこまで宮をして頑なにしているものか。 これは、後醍醐にとっては、ご
帰洛後まず第一の、お胸のつかえだったに相違ない。というよりも、ご心中穏やかならぬ....