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常山
「常山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
常山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
日本紀』)、壱岐守宗于《いきのかみむねゆき》が郎等(『宇治拾遺』)、加藤清正(『
常山紀談』)、そのほか捜さばまだ多少あるべし。『
常山紀談』に黒田長政の厩に虎入り....
「道草」より 著者:夏目漱石
で」 比田は笑いながら、机の上に伏せた本を取って健三に渡した。それが意外にも『
常山紀談《じょうざんきだん》』だったので健三は少し驚ろいた。それにしても自分の細....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
せられしものなり」と云っている。 大阪陣前後には、幸村と云ったのだと思うが、『
常山紀談』の著者などは、信仍と書いている。これで見ると、徳川時代には信仍で通った....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を三段に並べ、多くの漕手が高中低の三列に腰掛けて漕いだもので、わが邦の蜈蚣船(『
常山紀談』続帝国文庫本三九八頁、清正が夫人の附人輩《つきびとら》川口にて蜈蚣船を....
「花物語」より 著者:寺田寅彦
手に持っていた野ばらを道ばたに捨てて行く手の清水へと急いで歩いた。 七
常山の花 まだ小学校に通ったころ、昆虫を集める事が友だち仲間ではやった。自分も....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
な》づけて白馬義従と為《な》す、以て左右翼と為して、胡《こ》甚だこれを畏る〉。『
常山紀談』に、勇士中村新兵衛、平生敵に識れ渡りいた猩々緋《しょうじょうひ》の羽織....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
州には古ローマの諸帝、わが国の師直《もろなお》、秀吉と同じく(『塵塚物語』五、『
常山紀談』細川|忠興《ただおき》妻義死の条、山路愛山の『後編豊太閤』二九一頁参照....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
《とび》に化けて小児に縛り打たれた話あり(『十訓抄《じっきんしょう》』一)。 『
常山紀談』にいわく、摂津半国の主松山新助が勇将中村新兵衛たびたびの手柄を顕わしけ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
らない。但し飯田忠彦の野史《やし》に、行布常蛇陣とあるのは全く書き損いの漢文で、
常山蛇勢の陣というのは、これとは異なるものである。何はあれ関勝蔵の一隊を境にして....
「随筆難」より 著者:寺田寅彦
学の先生で、教科書に採録された拙文に関して詳細な説明を求められる方々である。 「
常山の花」と題する小品の中にある「相撲取草」とは邦語の学名で何に当るかという質問....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
とし。景勝の代に叛《そむ》いて三年籠城して討ち死にの時もこの馬に乗ったという(『
常山紀談』)。昨年予の方へ紺紫色の雀極めておとなしきを持ち来った人あり。いかにも....
「読書遍歴」より 著者:三木清
があるとすれば、それは歴史であった。中にも山路愛山の史伝類をよく読んだが、特に『
常山紀談』とか『日本外史』とかを愛読した。その頃は漢文も私としては得意とするもの....
「「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能」より 著者:癋見鈍太郎
は某侯の御前で出会して、本名を名乗り合って莫逆の友となった……というような話が「
常山紀談」に載っている。 外国は知らず、日本の戦争はここまで「純美化」し、「能....
「三国志」より 著者:吉川英治
れた。 「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」 公孫※の問いに、 「それがしは、
常山真定(河北省・正定の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。趙雲、字は子....
「三国志」より 著者:吉川英治
る所で、……」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。 これなん真定
常山の趙雲、字は子龍その人であった。 趙子龍はずっと以前、公孫※は城とともに亡....