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「平城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

平城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
如法親王建、天正年中絶え果て今は形ばかりなる廬《いおり》に大日如来一躯あり云々、平城帝第三の御子、母は贈従三位伊勢朝臣継子、大同の末|春宮《とうぐう》に坐し世人....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》の古城は武田家の居城《きょじょう》のあったところ。三面には岡があるけれど、城は平城《ひらじろ》、門の跡や、廓《くるわ》のあと、富士見御殿のあった台の下には大き....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
う城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城《ひらじろ》で、お濠というのは人夫の手で掘りあげたお濠なんだ。ここのは天然の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
丘山の上にでもあるかと思えば、これは九頭竜川《くずりゅうがわ》の岸に構えられたる平城《ひらじろ》。昔は壮観であったに相違ないと思うが、今は見る影もない。それに引....
死者の書」より 著者:折口信夫
いた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹を潜めて、唯、まるで今歩いているのが、大日本平城京の土ではなく、大唐長安の大道の様な錯覚の起って来るのが押えきれなかった。此....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
せられた時の御歌である。御二人は従兄弟の関係になっている。佐紀宮は現在の生駒郡|平城村、都跡村、伏見村あたりで、長皇子の宮のあったところであろう。志貴皇子の宮は....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
います。 真如は廃太子|高岳親王の僧名です。親王は嵯峨帝の皇太子だが、その先帝平城の御子です。平城上皇に薬子の乱が起ったために、高岳親王は廃せられて、空海の弟....
モルガンお雪」より 著者:長谷川時雨
り、 「紋は何にしましょう。」 お雪さんは平安の都の娘だからも一つ古くいって、平城京の奈良という訳でもあるまいが、丸に鹿の紋を染めることにした。鴨川《かもがわ....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
出来る。美は直ちに力であったのである。その美が競い立って相継いで芳香ある雰囲気を平城一円の地を中心に八方に漲らしていたのである。 夢違観音と同時代には新薬師寺....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
て明和五年三月武州川越城へ移り、厩橋には陣屋を置いて分領としたのである。関東の四平城の一つとして名高かった厩橋城も、松平氏が川越へ避難してから廃城となり、その後....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
、以てその妄想に過ぎざる所以を明らかにせんと試みたのであった。かくてこの年十二月平城京址調査の目的を以て奈良市に出張した際に、北畠男爵から招致せられて猛烈なるお....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
げいしていた。 城下をめぐる幾筋もの川は、自然の外濠や内濠のかたちをなし、まず平城としては申し分のない地相、阿波二十五万石の中府としても、決して、他国に遜色の....
三国志」より 著者:吉川英治
をすすみ敵前へ攻め出るという戦法である。河北軍が得意とするものとみえて、さきに北平城の公孫※を攻め陥した時も、この奇法で城内へ入りこみ、放火隊の飛躍となって、首....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、北の三方は高地の展望を占め、南の高塚山や桐山の方から入ると、ただの狭い一平地の平城にすぎないのだった。正成たちは、その道から入ったのである。 「正季。拝領の旗....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
」などと安っぽく扱われてはいるが、民間にあっては彼らはかなり恐れられたもので、『平城坊目考』にある人の説を引いて(「陰陽町唱門ヶ辻子の条」)、「往年唱門師当地に....