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「平安朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

平安朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門」より 著者:芥川竜之介
、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申《さる》の刻《こく....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
にはおそろしい疫病がはやった。冬に近づくに連れて盗賊が多くなった。さしもに栄えた平安朝時代も、今では末の末の代になって、なんとはなしに世の乱れという怖れが諸人の....
弓町より」より 著者:石川啄木
山学院で監督か何かしていたある外国婦人が死んだ。その婦人は三十何年間日本にいて、平安朝文学に関する造詣《ぞうけい》深く、平生日本人に対しては自由に雅語《がご》を....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
した時代であります。この時代になると仏教は実行の国日本に入って来ました。奈良朝・平安朝初期の優れた仏教芸術は、この時に生まれたのであります。 次の五百年、即ち....
辞書」より 著者:折口信夫
『節用集』である。言語を覚えさせるために、言語をあらわす文字を集めている。これは平安朝まで溯ることができる。『倭名類聚鈔』『新撰字鏡』『伊呂波字類抄』、皆そうで....
人形の話」より 著者:折口信夫
の詞でいう。霊感を主人に伝える。これで形代から人形になる道筋がわかる。この雛を、平安朝の物語でみると、家庭で子供が弄んでいる様子がわかる。おそらく踊らしたのであ....
最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
えさせ、一地方官吏とみなすことになっても、なお私かに国造と称するものが多かった。平安朝になっても、政権に関係なく、村々の君主の祀った神を、子孫として祀っている者....
嫉みの話」より 著者:折口信夫
点を、利己的だと、源氏が反省するふうにして書いている。泣かんばかりに訴えている。平安朝あたりでは、宗教的に去るところは、仏教の考えが普通の形になるのだが、仏教が....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
調にて『合唱』を詠う。人数は少くとも三十人以上であること) 時 今は昔、例えば平安朝の中葉 第一幕 例えば平安京の東南部。小高い丘の上。丘の向う側には広大....
歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
聞往来にも、恋愛気分の豊かなものを含めた短歌が用いられている。其引き続きとして、平安朝の始めに、律文学の基本形式として用いられる様になり、民謡から段々遠くなって....
詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
さんの場合にも悔まれる事は、詩語の選択を誤った事である。思想的内容の極めて乏しい平安朝語を基礎とした文体によって、彼の宗教をえがこうとした。私の未生以前明治十八....
反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
其よりもっと大切な事は、何時の時代を書いたか、と言う事である。源氏物語の世界は、平安朝に這入って凡十代を経た時代、皇族から臣下に降る事はまだまだ行われていたが、....
春昼後刻」より 著者:泉鏡花
せば四方の海の、水の底へも潜ろうと、(ことづけ)をしたのであろう。 この歌は、平安朝に艶名一世を圧した、田かりける童に襖をかりて、あをかりしより思ひそめてき、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
る観念として意識されたことは、漢詩に対する和歌の用途をひろくもしたし重くもした。平安朝のはじめ、後宮のもてあそびであった歌合が、清涼殿の催しにまで昇格し、勅撰の....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
来ては天台大師の天台宗の教義とか、達磨大師の禅法とかいうものであります。日本では平安朝の伝教大師の日本天台、弘法大師の真言密教をはじめ、鎌倉期になって法然、親鸞....