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「平戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

平戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
望に陥りかかった去年の秋の事である。自分は最後の試みとして、両肥《りょうひ》及び平戸《ひらど》天草《あまくさ》の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然....
十二支考」より 著者:南方熊楠
中で山農の行うところなり」と、これより振《ふる》った珍法は『甲子夜話』十一に出で平戸《ひらど》で兎が麦畑を害するを避けんとて小さき札に狐の業《わざ》と兎が申すと....
島原の乱」より 著者:菊池寛
せたが、船が少ない上に城は高く思う様にならない。そこで大船を求めしめた処が、丁度平戸沖に阿蘭陀船が碇泊しているのを知った。直ちに廻送せしめ、城へ石火矢を放たせた....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
を流しつづけた。公儀御書院番を送ったあとには、大坂|御番頭の松平|兵部少輔と肥前平戸の藩主とを同日に迎えた。この宿場では、定助郷設置の嘆願のために蓬莱屋新七を江....
近世快人伝」より 著者:夢野久作
うたような事でホッと一息しました。その寺で大惣に養生をさせまして、それから三人で平戸の塩鯨の取引を初めましたのが運の開け初めで、長崎を根拠にして博多や下関へドン....
十二支考」より 著者:南方熊楠
今に残るあり、女郎部屋の源氏名札も同じく残る。このついでに言う、英船長サリスの『平戸日記』慶長十八年(一六一三)の条に、六月二十一日平戸王女優数輩を従え英船に入....
十二支考」より 著者:南方熊楠
《ぜんぴょう》と悦ばす所あるはこれに拠って作ったのだ。その他『甲子夜話』一七に、平戸《ひらど》の海浜で猴がアワビを採るとて手を締められ岩に挟まり動く能わず、作事....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、紀州の浜中、筑前の大賀、熊本の吉文字屋――北は津軽の吉尾、松前の安武より、南は平戸の増富らに至るまでの分限《ぶげん》を並べて、その頭のよいことに関守氏を敬服さ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
草のくずれが日本の陶器の発達に一役買って居ります、生業として刀をすてて陶工となり平戸焼などはじめたのね。ザビエーやその他日本へ渡来した人々の個人としての宗教的情....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
いう人もあれば、シナ海を荒した海賊だという人もある。 彼の住居と道場の建設には平戸久作という人が当り、それが完成すると、島田一族三名が手ブラで越してきた。ただ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
人なんですがね。 むろん、総指揮に当る長崎の両奉行所も全員出動。さらに、佐賀、平戸、島原の三藩も命令によって出動しました。 そこで四藩二奉行所から出動した恐....
犯人」より 著者:坂口安吾
見「その法則とは?」 花井「いずれ事実が証明しますよ」 そのとき同席していた平戸先生が「お先きに」と立ったので、人見も「では私も」と立って花井に別れをつげ平....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
くり返された。その鎮撫をたのむ使者が幾年か前にも明国の都の燕京を出発して、九州の平戸に到着したことがあったが、その当時この眇目の男もその一行に加わって上陸した。....
墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
けは、全部父親の物だというのです。そして四里先の大野木村の端れには、父親の故郷の平戸島から二十軒ばかりの百姓を連れて来て、今、開墾させているというのです。 「そ....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
また外国との交通が港を通して早くから行われていたのに由るのでありましょう。博多、平戸、長崎、鹿児島のような港は、海外にもその名が知られていました。それらの港を指....