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平泉
「平泉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
平泉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ことになりました。しかしその頃の奥州にはとてもそれだけの彫刻師はいない。もちろん
平泉には相当の仏師もいたのですが、今までのが優れた作であるだけに、それに劣らない....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
い無い。しかし何様しても天下を敵に廻し、朝命に楯《たて》をついて、安倍の頼時や、
平泉の泰衡《やすひら》の二の舞を仕て見たところが、骰子《さい》の目が三度も四度も....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
であった。 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は弥が上に曇った。けれども、志す
平泉に着いた時は、幸いに雨はなかった。 そのかわり、俥に寒い風が添ったのである....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
人排斥――実は賠償金踏み倒し――のためにこの故知をならっている。処が東大国史科の
平泉助教授の如きは本気でこの故知を現代に適用しようとしている)。――だから彼の人....
「札幌まで」より 著者:寺田寅彦
が沈降したのではないかと疑われる。これは地形学者の説を聞いてみなければ分らない。
平泉の旧跡はなるほど景勝の地である。都市というものの発達するに恰好な条件を具えて....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
書いたから。 私は校友会の理事会議の時に生徒委員の一人として列席したが、先生が
平泉先生という講演部長をさんざんにたたき付けられるのには驚いた。骨を刺すように辛....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
にしみて味い、とても関白だの将軍だのというものにはなれないと悟ったらしい。せめて
平泉の藤原氏のように奥州だけでも征服してその親分に、ただし
平泉のように身を亡さず....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
翌日、目的の秋田犬を見るために大館へ出発した。私たちは大館市の秋田犬保存会長、
平泉栄吉氏宛の紹介状をもらって東京を立ってきたのである。ところが例の新聞記者の訪....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
犬にお目にかかった。 この大館市が秋田犬の本場であるが、そこに秋田犬保存会長の
平泉さんという犬好きの人がいて、秋田犬の内幕を語ってくれた。 大館にも純粋の秋....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
…とあります。 それから、源平時代になりますと、牛若丸が京都の鞍馬山を出まして
平泉に行きますときに、牛若丸を
平泉まで伴れて行ってやったというあの金売吉次の父親....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
て、王師に抗せし安倍貞任の祖先のごとき、またその一なるべきか。仙北の首領清原氏、
平泉に拠りし御館藤原氏また実に俘囚をもって目せられたりしものにして、ことにその藤....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
部分たる胆沢・和賀・江刺・稗貫・紫波・岩手の六郡を領し、さらに南に出でて磐井郡の
平泉に根拠を構え、砂金その他の豊富なる国産によって豪奢を極め、直接音信を京師に通....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
金を見付け出して既に富を重ねてみれば、だんだん栄花がほしくなる。なお俘囚の長たる
平泉の藤原氏や、東夷と呼ばれた鎌倉幕府が、都の文化を輸入し、都人を使役した様に、....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
あります。 その事実の中で最も著しいのは、前九年役の安倍氏、後三年役の清原氏、
平泉で繁盛を極めた藤原氏から、遥かに時代が下って鎌倉室町時代の頃に、津軽地方に勢....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
十九歳になって再び伊勢に行き、そこから東海道を鎌倉に出て頼朝に謁し、はるか奥州|
平泉まで藤原|秀衡に会いに行った。旅から帰ったのは翌文治三年七十歳のときで、しば....