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平盛
「平盛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
平盛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
唯仏法を修行《しゅぎょう》して、今度《こんど》生死《しょうし》を出で給うべし。源
平盛衰記《げんぺいせいすいき》
(俊寛)いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけ....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
で、もし、日本の過去の作品のみを以《もっ》て分類するなら、第一に「軍記物」源
平盛衰記とか、難波戦記とか――現在の例をとると、日米戦争未来記とか、秩父宮勢津子....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
る》んで更に他の男に嫁し、子供多く設けたは愛憎が尽きる(『曾我物語』四の九、『源
平盛衰記』一九、『昔語質屋庫《むかしがたりしちやのくら》』五の一一、『平治物語』....
「星女郎」より 著者:泉鏡花
、蓮田が稲田より風薫る。で、さまで旅らしい趣はないが、この駅を越すと竹の橋――源
平盛衰記に==源氏の一手は樋口兼光大将にて、笠野富田を打廻り、竹の橋の搦手にこそ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
白鼠は瑞とされざるまでも珍とされたに相違なし。これを大黒天の使い物とする事、『源
平盛衰記』一に清盛|内裏《だいり》で怪鼠を捕うる記事中、鼠は大黒天神の仕者なり、....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
より巴御前の方が好きであった。第一勇気もあると思った。五、六歳になっては、更に源
平盛衰記保元平治物語の絵入本を見ることを初めた。文字はまだ読めなかったが、よく父....
「“歌笑”文化」より 著者:坂口安吾
三治(今、別の名であるが忘れた)などというのがいた。金語楼は兵隊落語、小三治は源
平盛衰記など新しくよんだのである。私がはじめて彼らをきいたのは中学生のころで、彼....
「女難」より 著者:国木田独歩
たに投げ出したまま、衣服を着更えすぐ物置のような二階の一室に入り小さくなって、源
平盛衰記の古本を出して画を見たものです。 けれども母と叔母はさしむかいでいても....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
る。同寺東院堂の銅造聖観音立像もこれに劣らぬ美の最もいさぎよきものである。 天
平盛期となるとまず東大寺三月堂の乾漆の巨像|不空羂索観音があり、雄偉深遠で、しか....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
武士絶無にはあらず、しかもその武勇と忠実と、ともに東国武士の比にあらざりき。『源
平盛衰記』に斎藤別当実盛の言を記して、 坂東武者の習とて、父が死せばとて子も引....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
衡を懐柔し、その後背を攻めしめようと試みたのは当然の所為であったのであろう。『源
平盛衰記』にはこの年二月(あるいは閏二月)および四月の両度、頼朝追討の院宣を秀衡....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
の壮齢を以て熊野から入水したのも、また補陀洛渡海の信仰が含まれていたのである。源
平盛衰記に『三位入道船に移り乗り、遥かの沖に漕ぎ出で給ひぬ。思ひ切りたる道なれど....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
)と、源三位頼政の謀反が、いよいよその行動に出たところに始まります。ですから、源
平盛衰記的に見るならば、ここらを第一ページと読んで行かれても、いっこうさしつかえ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
平城京から北へ越える所で、今の歌姫越に当たり、今の奈良坂は古えの般若寺越で、『源
平盛衰記』などの記するところでは、なおその通りになっているが、平城京廃して東大寺....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
下部なるものが、いわゆる放免である事は申すまでもない。その流罪囚護送の事は、「源
平盛衰記」文覚上人流罪の条に、 、懸る事に就いてこそ、自ら酒をも一度飲む事にて候....