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平賀
「平賀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
平賀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
官安富寄碩、同藩の中川淳庵、蔵前の札差で好事の名を取った青野長兵衛、讃岐侯の浪人
平賀源内、御坊主の細井其庵、御儒者の大久保水湖などの顔が見えぬことは希だった。 ....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
いって行った。そして、僕が子供の時から何かの病気の際にはいつも世話になっていた、
平賀という一等軍医を呼んで来た。 「これはことしはどんなことがあっても入れなけや....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
六歳で将軍足利義晴より諱字を賜り、晴信と称した。この年父信虎信州佐久の海ノ口城の
平賀源心を攻めたが抜けず、囲を解いて帰るとき、信玄わずか三百騎にて取って返し、ホ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
たほどである。 天文五年十一月、武田信虎八千を率い信濃海口城を襲ったが城の大将
平賀源心よく防いで容易に陥落ちない。十二月となって大雪降り、駈け引きほとんど困難....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
、その後甲斐山岳会が更生して、若尾氏をはじめ『日本南アルプスと甲斐の山旅』の著者
平賀文男氏、白峰および駒ヶ岳に力こぶをいれる白鳳会の人たち、その他、甲府全市の知....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ないのは衷心驚くべきである。後代にしてかかるところを稍悟入し得たものは歌人として
平賀元義ぐらいであっただろう。「中大兄」は、考ナカツオホエ、古義ナカチオホエ、と....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
番早く、次に水野左近が隣に小さな家をたてて移ってきた。それが六年前だ。その翌年に
平賀房次郎という官を辞して隠居した人が左近の隣に家をたて、左近の家が三軒のマンナ....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
その割に花魁にはもてようというもの! それ精力が増しますのでな。……これはこれは
平賀源内様で、ようこそお立ち寄りくださいました。が、どうして
平賀様には、奥様をお....
「柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
を、大変惜しんで下されたのだ。俺は本年百十歳だ」 「それじゃア本当にご老人には、
平賀先生でございますか?」 「紙鳶堂
平賀源内だ」 「へえ」とばかりに鬼小僧は床へ....
「おせん」より 著者:邦枝完二
やしねえが、どうしておいらが、若旦那と一|緒だったのを知ってるんだ」 「ふふふ。
平賀源内の文句じゃねえが、春重の眼は、一|里先まで見透しが利くんだからの。お前が....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
笠で蔽いあそばされた、大塔宮護良親王様と、同じ姿の七人の家来、村上彦四郎義光や、
平賀三郎や片岡八郎等であった。 「御武運ひらきますでござります」 云い云い正成....
「曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
小面の憎い納り様が、兄さんの腹の虫にゃ、まるッきり触らなかったとなると、こいつア
平賀源内のえれきてるじゃアねえが、奇妙不思議というより外にゃ、どう考えても、考え....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
いてさまざまの事を問うに、極めて石を愛ずる癖ある叟にて、それよりそれと話の次に、
平賀源内の明和年中大滝村の奥の方なる中津川にて鉱を採りし事なども語り出でたり。鳩....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
集』の竟宴が終ったのち、閏七月、時政はまた妻の牧の方という女傑と共謀して、女婿|
平賀朝政を将軍に立てようとし、十四歳の実朝を仆そうとした。このことが未然に顕われ....
「アイヌ宗教成立の史的背景」より 著者:知里真志保
ような神話は各地に数多く伝えられているのであります。が、ここには日高国沙流郡|新
平賀村で“ペネクマカ、ヘ※イ”という折返しを以て歌われていたものを紹介しておこう....