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「年中行事〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

年中行事の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
その頃の夜桜というのは、茶屋の店先や妓楼の庭などへ勝手に植えられたもので、それが年中行事の一つとなって、仲の町に青竹の垣を結い廻して春ごとに幾百株の桜を植え、芝....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
の路地にはたいてい石地蔵が祀《まつ》られていて、毎年八月の末に地蔵|盆《さん》の年中行事が行われたが、お君の住んでいる地蔵路地は名前からして、他所《よそ》の行事....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
人間が品川沖にあらわれた。 この年は三月三日の節句に小雨が降ったので、江戸では年中行事の一つにかぞえられているくらいの潮干狩があくる日の四日に延ばされた。きょ....
春の潮」より 著者:伊藤左千夫
必ず種井の水を汲みほして掃除をせねばならぬ。これはほとんどこの地の習慣で、一つの年中行事になってる。二月に入ればよい日を見て種井浚いをやる。その夜は茶飯ぐらいこ....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
、大蛇に出逢わないとか、魅まれないとかいうので、女子供は争ってむしり取る。こんな年中行事が遠い昔から絶えず繰返されているのを見ても、いかにかのうわばみがここらの....
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
頃、嘘八百と出鱈目仙(千)人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互い....
巴里祭」より 著者:岡本かの子
放人等の口から口に伝えられている諺である。つまり六月一ぱいまでは何かと言いながら年中行事の催物が続き、まだ巴里に実がある。此の後は季節が海岸の避暑地に移って巴里....
」より 著者:織田作之助
かった。 大阪の町々の路次にはよく石地蔵が祀られており、毎年八月末に地蔵|盆の年中行事が行われた。お君の住んでいる地蔵路次は名前の手前もあり、よそに負けず盛大....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
附近の隅田川において御徒士組の水練を行なわせることとした。 夏季の水練は幕府の年中行事であるが、元禄以後ほとんど中絶のすがたとなっていたのを、吉宗はそれを再興....
起ち上る大阪」より 著者:織田作之助
民間信仰の対象である石地蔵の多くが同じ目にあった。 私は子供の頃からあの大阪の年中行事の一つである地蔵祭が好きであった。私の生まれた上町辺が地蔵さんの非常に多....
明治懐顧」より 著者:上村松園
今日のように縁をつけたのではなく、矢張仮巻に貼ったものでした。 以上は一社中の年中行事の一例ですが、明治二十九年頃まで如雲社というのがあって、毎月十一日に画会....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
て、後世の夏安居になったという。禅が日本へ渡ると共にその風習も伝わって禅寺の主な年中行事の一つになっている。夏の九十日間は雲水達はどこかの寺の道場に宿りを求め静....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
にて、上演されたる新作狂言は八十余種の多きにのぼる。なかんずく有名なるは「忠臣蔵年中行事」「塩原多助」「牡丹灯籠」「籠釣瓶」「お祭佐七」「細川の火事」などなり。....
」より 著者:織田作之助
どこから引っぱって来たのか、よく石地蔵がまつられていて、毎年八月下旬に地蔵|盆の年中行事が行われるのだが、お君の住んでいる地蔵路次は名前の手前もあり盛大な行事が....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
翻っていたのは僕の小学時代の話である。今では――誰も五月のぼりよりは新しい日本の年中行事になったメイ・デイを思い出すのに違いない。 僕は昔この辺にあった「御蔵....