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年来
「年来〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
年来の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
んなに悦《よろこ》ばしいことであろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十
年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。……
老人は憮然《ぶぜん》として....
「報恩記」より 著者:芥川竜之介
落《さかおと》しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十
年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
わたしは北条屋弥三郎《....
「十円札」より 著者:芥川竜之介
常心《へいじょうしん》を失ったなと思うと、厭《いや》でも鏡中の彼自身を見るのは十
年来の彼の習慣である。もっともニッケルの時計の蓋《ふた》は正確に顔を映すはずはな....
「河童」より 著者:芥川竜之介
を見よ。
×
矜誇《きょうか》、愛欲、疑惑――あらゆる罪は三千
年来、この三者から発している。同時にまたおそらくはあらゆる徳も。
....
「桃太郎」より 著者:芥川竜之介
所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十
年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光《らいこう》や四天王《してんのう》はいず....
「路上」より 著者:芥川竜之介
その眼を桜草《さくらそう》の鉢へやると、腹の底から大きな息をついて、
「どうだ。
年来の好誼《こうぎ》に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行っ....
「少年」より 著者:芥川竜之介
保吉は未《いま》だにこの時受けた、大きい教訓を服膺《ふくよう》している。三十
年来考えて見ても、何《なに》一つ碌《ろく》にわからないのはむしろ一生の幸福かも知....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
ぜられた。これも正義に反している。日本は新聞紙の伝える通り、――いや、日本は二千
年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらし....
「馬の脚」より 著者:芥川竜之介
ほこ》りである。「順天時報《じゅんてんじほう》」の記事によれば、当日の黄塵は十数
年来|未《いま》だ嘗《かつて》見ないところであり、「五歩の外に正陽門《せいようも....
「さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
が与えられているのであろう。――これが、自分の第二の疑問であった。
自分は、数
年来この二つの疑問に対して、何等の手がかりをも得ずに、空しく東西の古文書《こもん....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
ている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百
年来の狸の莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早めたも....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
の内部へ歩み入りますと、早くもそれと察して奥の方からお出ましになられたのは、私が
年来お慕い申していた弟橘姫様でございました。打ち見るところお年齢はやっと二十四五....
「アグニの神」より 著者:芥川竜之介
うに、――」 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反らせました。 「私の占いは五十
年来、一度も外れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをな....
「ある自殺者の手記」より 著者:秋田滋
私はゆめが破れてしまったのは、晩年になってからのことに過ぎない。 私にはこの数
年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかりで現れだした。愛の何た....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
によりよき教訓を与え此の自己批判の上に社会党躍進の大勢は整備されつつある。私は私
年来の主張たる社会党一本の姿の具現の為にあらゆる努力を捧げたいと思って居る。私は....