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「年玉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

年玉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
はいけない、是はね私の心許《こゝろばか》りのお歳暮でお筆さんに上げます、家内がお年玉をって、今から年玉を上げるのも可笑《おか》しいが、どうせ上げる物だからお歳暮....
吉原新話」より 著者:泉鏡花
……煙草盆を揃えて出した上へ、団扇を二本の、もうちっとそのままにしておいたら、お年玉の手拭の残ったのを、上包みのまま持って出て、別々に差出そうという様子でいる。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
て来た。たとえば、毎年正月の八日には馬籠仲町にある檀家の姉様たちが仏参を兼ねての年玉に来る、その時寺では十人あまりへ胡桃餅を出す、早朝から風呂を焚く、あとで出す....
新世帯」より 著者:徳田秋声
、縁が赭く、爛れ気味であった。 母親は長々と挨拶をした。新吉が歳暮の砂糖袋と、年玉の手拭とを一緒に断わって出すと、それにも二、三度叮寧にお辞儀をした。 しば....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
ってみなさい。来年こそは、この身代にも一花咲かせて見せて下さい。子供さんにも、お年玉を奮発して、下職への仕着も紋無しの浅黄にするといまからでも間に合いますから、....
」より 著者:太宰治
ヴェルレエヌ 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
の品物は、七月十六日の盆休みに店員一同に分配するのに至極簡単でしたけれど、歳暮と年玉は山のように積まれ、私はそれをまとめて整理しておき、新年宴会の席上で福引とし....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
で千疋、車力鳶のもの出方中残らずで五両、其の外荷主様に戴いた御祝儀、煤掃き歳暮お年玉何や彼や残らず帳面に付けてある処を番頭に寄せてもらったら、丁度三百両になるが....
屋根裏の犯人」より 著者:坂口安吾
んだぐらいで、こう歎きは致しません。去年の元旦に妹が年賀に参りまして、銀一包みお年玉にくれましたが、あまりの嬉しさに神ダナにあげて拝んでおりましたのを、見ていた....
岩魚」より 著者:佐藤垢石
門之墓とあり、裏に儀右衛門は上野国佐波郡芝根村沼之上の産、文政十二年出生、文久三年玉造町の役にて斬死し屍を茲に運び来って葬る。と、ばかり書いてあった。碑は苔蒸し....
雪の夜」より 著者:織田作之助
しだがと、今朝渡したのである。毎年ゆで玉子屋の三人いる子供に五十銭宛くれてやるお年玉も、ことしは駄目かも知れない。いまは昔のような贅沢なところはなくなっているが....
曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
に京伝は挟箱《はさみばこ》を肩にして父の後に従い、弟はまたその後について、白扇を年玉に配って歩いた。 「兄ちゃん。おいらアお腹《なか》が痛いから、もういやだ」 ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
代において、三十銭以上の双六などがよく売れたものだと思うが、今日と違って、歳暮や年玉の贈答品に歌留多や双六のたぐいが多く行なわれたので、その方面の需要が多かった....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
へ心附けくれられて、誠に有難い、また相かわらず重三郎を其の方の代としての年頭で、年玉の品々を忝けのうござる」 政「何う致しまして……え、まア/\お天気も続いて宜....
俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
回はそのたよるところのものを一つお話ししてみようと思います。 たとえばここに「年玉」という一つの題を得て句を作るという時分に、どうしたら年玉の句ができるでしょ....