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年番
「年番〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
年番の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の茶店に憩いました。
百七十四
折よくその茶屋は、土地の
年番《ねんばん》の会所になっておりました。つまり右の事件に関連して、土地の顔役が....
「百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
古びた極くお粗末なものであった、そうして、その棺を担《かつ》ぐのはその庭場庭場の
年番の廻持ちでたしか六人位ずつの人足を出していた、穴掘りもそれ等のものがやり、棺....
「鷲」より 著者:岡本綺堂
ようであるが、その和田の家へこの頃ひとつの苦労が起っていた。それは羽田の鷲撃ちの
年番に当ったことである。 羽田の鷲撃ち――毎年の秋から冬にかけて、遠くは奥州、....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
いていたのではきりがない。この頑固一徹で日毎に番所を風靡するので、さすがの奉行も
年番方も庄兵衛には一目をおき、まるで腫れものにでも触るように扱っている。 とこ....
「平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
を驚かすにいたる。 辰年《たつどし》六月に日本橋|通《とおり》一丁目、二丁目が
年番に当った時、この二ヶ町で八千八百両の費用がかかった。 揃いの縮緬の浴衣《ゆ....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
のであった。 預申金子之件 一金三千両也 但通用金 右者其御山御霊屋御
年番御用御年金之内今般酒井左衛門尉就公務要用預被申候処実証也返済之儀者来辰三月三....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
礼、神田日本橋の目貫の場所は神田|明神の祭礼でありました(その頃は山王と明神とは
年番でありました。多分、その年は神田明神の方の番であったと思います)。それで私は....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
風にして入って参りました。そのカムツァンというのには一人の長がありまして、其長は
年番である。私の行った時分の長はラートェパという人で、ごく親切な無邪気なお爺さん....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
に比べて見れば「花の頭」と書くことの正しいのが分る。頭とは頭人または頭屋の頭で、
年番の司祭者を意味する。熱田にも郷頭人|輔頭人の二人があって、毎年四月晦日を以て....