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「年譜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

年譜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
盲人独笑」より 著者:太宰治
名も、その日記も、大正四年、正孫の葛原※氏が、その祖父君の遺業を、写真数葉、勾当年譜、逸話集等と共にまとめて見事な一本と為し、「葛原勾当日記」と銘題打って、ひろ....
新生」より 著者:島崎藤村
てくれ、またその訳書の長い序文のはじにも、「此書因種々事故、遷延甚久。如今以這篇年譜為最後工作。在此※望此書之快成、併敬祝原著者健康。」としてあったのも忘れがた....
花吹雪」より 著者:太宰治
作品発表の年月は、明治四十二年五月となっている。私たちの生れない頃である。鴎外の年譜を調べてみると、鴎外はこの時、四十八歳である。すでにその二年前の明治四十年、....
作家と時代意識」より 著者:宮本百合子
る。三十三歳だった藤村が最初の長篇小説「破戒」をかきはじめたのは明治三十七年で、年譜をみると、「日露戦争に際会した。当時の出版界と著作者との関係に安じられないも....
田端の坂」より 著者:宮本百合子
にあれは制服だったが、でも、大学を一体芥川さんは何年に出られたのかと思って、今、年譜を調べて見たら、大正五年七月英文科を卒業とある。そうすると、六年と思ったのは....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
俗主義的傾向を排す等三十三篇、ヴォルガの船旅、ヤドローヴォ村の一日その他に書翰、年譜です。 松山へ行ったら何とかいう川へ行こう、松山には少年時代の苦しい思い出....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
うちには非常な珍本が幾らもあって、特に次のようなのはすぐれたものだった。聖書歴史年譜、一五六〇年版。各聖書要目索引、ピエール・ド・ベス著。マルグリットの諸マルグ....
『演劇』あとがき」より 著者:岸田国士
情熱を傾けつつある同君の、きわめて率直な感想をきくことができた。 最後に、演劇年譜であるが、少壮篤学の士中田耕治君に、非常に骨の折れる草案を作ってもらい、山田....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
に書いた小伝にも根拠があって二十三と書いたのだが、この稿をはじめる時、あまり他の年譜を信じすぎて、自分の思いあやまりかと諸説にしたがい、末年を十九にとったために....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
も春のやおぼろが『書生気質』一篇に洛陽の紙価を高らしめたは翌明治十八年であるが、年譜に拠ると『春風情話(ランマムープの新婦)』『該撒奇談』『リエンジー』『春窓綺....
初期詩篇」より 著者:原口統三
。原稿なし。清岡卓行の記憶による。一七九ページ(注)五参照。清岡卓行については略年譜および一八七ページ(注)四参照。 断片 俺の涙が出ないから お前を一つひっ....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
人の簡単なる編著であるが上に、その庚午火災に関する記事は、他の史実がすべて太子の年譜中に排列せられたのとは趣きを異にして、特にその末項において、しかもその庚午の....
解説」より 著者:原田義人
考えられている。カフカは、これを書いた年の八月にF・B嬢と出会った。父との関係も年譜の冒頭にふれてあるように微妙なものであった。したがって、かなりな程度まで身辺....
加波山」より 著者:服部之総
からぎりぎりの幕末にかけて、そのブルジョア的経営面において栄枯があり、磐州自身の年譜の上でも、十二歳から十四歳まで(万延元年―文久二年)二本松《にほんまつ》の商....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
天皇の裔で、母は清原氏だと余程古いところまで及んでいる。しかるに貞享二年の「蓮公年譜」に至っては、遠く藤原鎌足からその系図を引いて、彦根藩主井伊氏の一族となし、....