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并
「并〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
并の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
歩くから、家はまるで留守じゃアあるし、お前此処に居て留守居をして荒物や駄菓子でも
并《なら》べて居りゃア、此処は花売や野菜物《せんざいもの》を売る者が来て休む処で....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
衞門の悦びは一通りでありません。翌日になりますと、新吉原町辨天屋祐三郎抱え紅梅|
并《ならび》に下河原園八郎という清左衞門の弟をお呼出しに相成るという一寸一息つき....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
しかれどもその六、七年間において政論状態は一変し、民権論派なるもの四種に分かれて
并立したることは実に第二期の政論派なりき。この四種のうち第一種の慷慨派は十年の役....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
雷居り、左手には若雷居り、右手には土雷居り、左足には鳴雷居り、右足には伏雷居り、
并せて、八雷神成り居りき。是に於て伊邪奈岐命見|畏みて逃げ還ります。下略」 こ....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
|末木村|慈眼寺に、同寺から高野へ送った武田家品物の目録書の稿の中に、飯縄本尊|
并に法次第一冊信玄公|御随身とあることが甲斐国志巻七十六に見えているから、飯綱の....
「運命」より 著者:幸田露伴
らしめぬ。矢石未だ交るに至らざるも、刀鎗既に互に鳴る。都指揮使|謝貴は七衛の兵、
并びに屯田の軍士を率いて王城を囲み、木柵を以て端礼門等の路を断ちぬ。朝廷よりは燕....
「槍ヶ岳第三回登山」より 著者:小島烏水
白く光ってあたりに飛び散る。 奥赤沢の切れ込みへ来ると、雪は庖刀を入れたように
并行に断裂して、その切截面の高さは、およそ二丈もあろう、右へ除け左へ避けて、思わ....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
評論雑誌と書斎とサロンとの時代であった。フランスの所謂「アンシークロペディー」と
并《なら》んで、之を改版した模造百科辞典が少なからず造られた時代であったのである....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
れが現政府に於て事実上何を指しているかを挙げて見せよう。文部省は三月末に高等学校
并に中等学校の教授要目を改正した。国史や国文の類の時間を殖やし、教学刷新評議会は....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
かねつ鳥にしあらねば 〔巻五・八九三〕 山上憶良 山上憶良の「貧窮問答の歌一首
并に短歌」(土屋氏云、憶良上京後、即ち天平三年秋冬以後の作であろう。)の短歌であ....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
左右の手を両の袖のうちに入れ、御覧の通り衣はこの通り何んでも構いませぬ、食物は魚
并に肉類は一切用いず、蕎麦もこの頃は止めました、粥と野菜少し許り、牛乳二合ほどつ....
「夏の町」より 著者:永井荷風
が敷いてあって、押入のない一方の壁には立派な箪笥《たんす》が順序よく引手のカンを
并《なら》べ、路地の方へ向いた表の窓際には四、五台の化粧鏡が据えられてあった。折....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
かも知れんという考えを起して臨終の願を立てていいました。十方三世の諸仏たち
并びに本師|釈迦牟尼仏、我が本来の願望は遂げざれとも我らの最恩人たる父母及び朋友....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
真備公之裔而、古へ吉備塚辺に住す。其後離散して今の地に移ると云。又、享禄年七郷記
并天正地子帳等当町を不之。」 『大和人物誌』一八一頁「加茂保豊は平安朝の人、奈良....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
めしい陸軍被服廠や両国駅に変っていた。けれども震災後の今日を思えば、――「卻って
并州を望めばこれ故郷」と支那人の歌ったものも偶然ではない。 総武鉄道の工事のは....