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幼帝
「幼帝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
幼帝の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
老の成田頼母で、今年五十五になる頑固一徹の老人である。 「薩長土が、なんじゃ、皆
幼帝をさしはさんで、己れ天下の権を取り、あわよくば徳川に代ろうという腹ではないか....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
で、遂に彼を殺すことになった。徐は首を斬られても、血が出なかった。 将軍は後に
幼帝を廃して、さらに景帝を擁立し、それを先帝の陵に奉告しようとして、門を出て車に....
「耳無芳一の話」より 著者:小泉八雲
い争いの最後の戦闘が戦われた。この壇ノ浦で平家は、その一族の婦人子供ならびにその
幼帝――今日安徳天皇として記憶されている――と共に、まったく滅亡した。そうしてそ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
日、後堀河天皇から和歌集を撰進するようにとの勅命を蒙った。この年の末御譲位、四条
幼帝即位される。一年を隔て、天福二年六月三日に一千四百九十八首の自筆の本を奉って....
「三国志」より 著者:吉川英治
逝いて、十二代の帝位についた霊帝は、まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、
幼帝をあざむき合い、朝綱を猥りにし、佞智の者が勢いを得て、真実のある人材は、みな....
「三国志」より 著者:吉川英治
普は、語りつづけて。 「――今、思い合せれば、先年、十|常侍らの乱をかもした折、
幼帝には北※山へお遁れ遊ばしましたが、その頃、にわかに玉璽が紛失したという噂が一....
「三国志」より 著者:吉川英治
そのあいだに、故車騎将軍張飛のむすめは、ちょうどことし十五になっていたので、
幼帝|劉禅の皇后として、正宮にかしずき入れることとなった。 ところが、この祝典....
「三国志」より 著者:吉川英治
必然な過程として選ばれた道であった。 しかし、この中道において、玄徳は世を去り
幼帝の将来とともに、その遺業をも挙げて、 ――すべてをたのむ。 と、孔明に託....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
りきっていた。後醍醐のなきのちも、後醍醐のいますが如く、わが子を立てて、いやこの
幼帝に仕えて、先帝の遺誡にそむくまいと、自己を神格的なものに持ちささえている寡婦....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
御自体が、すでに、甘美な制度から遁れ得ていない。鳥羽の寵姫、美福門院は、すでに、
幼帝近衛の御母であり、ここにまた、女院政治すら行われそうです。 美しさ、限りも....