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「広瀬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

広瀬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
子供の病気」より 著者:芥川竜之介
《よくあさ》目をさました時にも、夢のことははっきり覚えていた。淡窓《たんそう》は広瀬淡窓《ひろせたんそう》の気だった。しかし旭窓《きょくそう》だの夢窓《むそう》....
水の三日」より 著者:芥川竜之介
くせいか、数字までせっせと忙しそうなかっこうをしているから、おかしい。そうすると広瀬先生がおいでになる。ちょっと、二言三言話して、すぐまたせっせと出ていらっしゃ....
或る女」より 著者:有島武郎
場面は、今の葉子とは違った人のようだった。そうかと思うと左岸の崕《がけ》の上から広瀬川《ひろせがわ》を越えて青葉山《あおばやま》をいちめんに見渡した仙台の景色が....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
廻って××町へ出て下さい」 肝心の××町というのが、サッパリ聞きとれなかった。広瀬中佐の銅像の向うあたりに、うち固って狂奔する一団の群衆があった。 「やッ、ホ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ている。その偉い人の骨は瑞鳳殿というのに斂められている。さきごろの出水に頽された広瀬川の堤を越えて、昼もくらい杉並木の奥深くはいると、高い不規則な石段の上に、小....
単独行」より 著者:加藤文太郎
山へ登る谷で、金糞ヶ岳へは真ん中の谷を上って、三角点一〇七四の北側を越し向う側の広瀬浅又の谷から登るのが一番よいように思われます。しかし実際はこの谷は西側の谷よ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
に左にはい廻ったのであろう。謙信は斥候を放って敵の旗本軍の行動をさぐらせ、甲軍が広瀬を渡ったことを知り、奇襲して敵を粉砕し、旗本を押し包んで、信玄を討ち取ろうと....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
康は、五月更に大府に向い八月には衣城を下した。翌三年三月には刈屋を攻め、七月、東広瀬、寺部の二城を落し、十二月に村木の砦を占領して翌年正月にこれを壊している。 ....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
突破である。昌景即ち人数を二手に分け、大久保勢の柵内に逃げ帰るを防いだ。山県の士広瀬郷左衛門、白の幌張の指物をさし、小菅五郎兵衛赤のを指して、揚羽の蝶の指物した....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
らぬ。二十五年前には大外交家小村侯爵はタシカ私立法律学校の貧乏講師であった。英雄広瀬中佐はまだ兵学校の寄宿生であった。 二十五年前には日清、日露の二大戦役が続....
死者の書」より 著者:折口信夫
あった。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、....
寺内の奇人団」より 著者:淡島寒月
これは今でも九段の遊就館にあります。この他、浅草で始めて電気の見世物をかけたのは広瀬じゅこくさんで、太鼓に指をふれると、それが自然に鳴ったり、人形の髪の毛が自然....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
ヘベさん/\といってました。それから水族館の辺に下岡蓮杖さん、その先に鏑木雪庵、広瀬さんに椿岳なんかがいました。古い池の辺は藪で、狐や狸が住んでいた位で、その藪....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
浮世三|分五厘の人生観を歌っていたのだ。 この緑雨の死亡自家広告と旅順の軍神|広瀬中佐の海軍葬広告と相隣りしていたというはその後聞いた咄であるが、これこそ真に....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
講談を知るために大抵今村次郎の速記本によった。しかし落語は家族達と一緒に相生町の広瀬だの米沢町(日本橋区)の立花家だのへ聞きに行ったものである。殊に度々行ったの....