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「庄内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

庄内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
不面目だ。おまえに頼む。見つけ次第に取りおさえてくれ」 その当時の市中取締役は庄内藩の酒井左衛門|尉《のじょう》である。その巡邏隊と歩兵隊とは、とかくに折り合....
人間灰」より 著者:海野十三
程更けた。 この空気工場から国道を西へ一キロメートルばかり行ったところに、例の庄内村というのがある。そこには村でたった一軒の駐在所が、国道に面して建てられてあ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
の饅頭人形などは取分けて面白いと思います。伊勢の生子人形も古風で雅味があります。庄内の小芥子人形は遠い土地だけに余り世間に知られていないようですが、木製の至極粗....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
で、歯牙にも懸けなかった。 春が逝って初夏が来た。花菖蒲の咲く頃になった。庄内川には鮎が群れ、郊外の早苗田では乙女達が、※秧の業にいそしむようになった。 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
的の態度に出、あらゆる手段を用いて江戸市街の攪乱を試み、当時江戸警衛の任にあった庄内藩との衝突となったのも、三田にある薩摩屋敷の焼き打ちとなったのも皆その結果で....
江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
妨をして、市中を荒らしたので、難儀の趣を訴えて、昼夜の見廻りが出来、その大取締が庄内の酒井左右衛門尉で、今の警視総監という処なのです。このポリスが出来るまでは、....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
月に浜田、二十二年七月に熊本、二十四年十月に濃尾、二十七年六月に東京、同年十月に庄内、二十九年六月に三陸、同年八月に陸羽、三十九年三月に台湾の嘉義、四十二年八月....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ねてばかりはいられませんでした。同じ「近世紀聞」という本のうちに、 「其頃既に庄内藩には府下非常を誡《いまし》めのため常に市中を巡邏《じゆんら》あり、且つ南北....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
すよ」 「よろしい、それでは貴様に知恵をつけてやろう、ほかでもないが相手は出羽の庄内で十四万石の酒井左衛門尉だ。今、江戸市中の取締りをしているのが酒井の手である....
怪しの者」より 著者:国枝史郎
一 乞食の権七が物語った。 尾張の国春日井郡、庄内川の岸の、草の中に寝ていたのは、正徳三年六月十日の、午後のことでありました。....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
なかったのであった。 藩侯の借金 さらに、次へ繙いて行くと、三千両が庄内藩主酒井左衛門尉。百五十両が小笠原石見守。三百両が高梁藩主板倉伊賀守。金一百....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
。穂先はやわらかで、胴に調子を保ってしかもねばりのある竿を好むのである。それは、庄内地方特産の唐竹の根掘りで作るのであるが、少し重過ぎるきらいはあるとはいえ、魚....
迷信解」より 著者:井上円了
するために、偶然の出来事が誤り認められて狐狸談となることが多い。その一例は羽前の庄内の町にて、毎夜深更になると狸の腹鼓の音がするとて、騒ぎ立てしことがあるに、よ....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
ッチを添えられることはもっとも歓迎するところである。 取りあえず本号には、羽前庄内地方のオクナイ様のことを紹介して、次にいささかこれに関する臆説を述べてみたい....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
、やって来ぬかと理事官の有吉君から言って来られた。これ幸いとさきに御厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺蹟踏査の御相談に及ぶと、このころはまだ雪が深くてとて....