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府立
「府立〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
府立の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「水の三日」より 著者:芥川竜之介
のが見えた。おおかた明日から、あとそうじが始まるのだろう。
(明治四十三年、東京
府立第三中学校学友会雑誌)....
「毛利先生」より 著者:芥川竜之介
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もうかれこれ十年ばかり以前、自分がまだある
府立中学の三年級にいた時の事である。自分の級に英語を教えていた、安達《あだち》先....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
うになつかしくなって来た。あの時、自分は撲られたが、赤井も撲られたのだ! しかし
府立一女の寄宿舎の前まで来ると、急に豹一の顔色が変った。 「君|金《ゲル》持って....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
知の家として、度々織田の家庭を訪ねるのであった。 規矩男自身と云えば、規矩男は
府立×中学を出て一高の×部へ入り、卒業期に肺尖を少し傷めたので、卒業後大学へ行く....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、のちに
府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大きい柳が繁っていた。 堀端の柳は....
「画学校時代」より 著者:上村松園
十三年の年に小学校を卒業し、翌年十四歳の春、京都
府立画学校へ入学しました。 明治二十一年のことでありますから、女が絵の学校へは....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
しがっている。その姉ももうとうに亡くなった。 明治二十年に小学の業を終え、直に
府立の中学へ入校したのだが、この年に父は後妻として村山氏を家に納れた。鶴見はここ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
の味方で、当時、二、三人よりなかった女の画学生になるところまで来てしまいました。
府立画学校に入る 十三、四の頃でした。今の京都ホテルのある場所に、京都
府立画学....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
杭が打ち立てられたので、その座名も初めてはっきりした。 その頃、わたしは築地の
府立中学に通っていたので、毎日かならずその建築場の前を通った。芝居好きのわたしは....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、後に
府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大きい柳が繁っていた。 堀ばたの柳....
「一日一筆」より 著者:岡本綺堂
書を聯想するが、私もこの字書に就ては一種の思い出がある。 私が十五歳で、築地の
府立中学校に通っている頃、銀座の旧日報社の北隣――今は額縁屋になっている――にめ....
「冷かされた桃割娘」より 著者:上村松園
たが、今はもう殆どあせ果てています。 十三の歳に今の京都ホテルのところにあった
府立画学校に入りましたが、一年程して鈴木松年さんの塾に移りました。 この松年さ....
「想い出」より 著者:上村松園
校に入れて貰いました。河原町御池、今の京都ホテルの処に建物がありまして、土手町の
府立女学校校長を兼ねました吉田秀穀という先生が校長で、生徒は百人余り、組織は東西....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
た。 小学校六年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで
府立三中(今の両国高校)に入学した。このとき砂町小学校から七人三中を受け、私一人....
「雨」より 著者:織田作之助
成績の図抜けて優秀な豹一にひそかに期するところがあり、彼が尋常六年を卒業すると、
府立の中学校に入れるようにと安二郎を無理矢理に説得した。飯屋の女中上りの彼女はも....