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庭訓
「庭訓〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
庭訓の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私の父と母」より 著者:有島武郎
方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある。人の妻となってからは、当時の女
庭訓的な思想のために、在来の家庭的な、いわゆるハウスワイフというような型に入ろう....
「チャンス」より 著者:太宰治
は、片恋というものであって、そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
庭訓《ていきん》。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
一つ一つを聴くたびに、胸を跳らせて正面をみつめている。 幕があく。「妹背山婦女
庭訓」吉野川の場である。岩にせかれて咽び落ちる山川を境いにして、上の方の背山にも....
「高島異誌」より 著者:国枝史郎
は云え此書著名と見え、早く唐土にも渡り居り経国大典巻の三に「倭学に在りては童子教
庭訓往来こそ最も優れ……」と、既に申して居るとこを見ると、俗間の書としては久しい....
「運命」より 著者:幸田露伴
。蓋し濂が諛墓の辞にあらず。孝孺は此の愚庵先生第二子として生れたり。天賦も厚く、
庭訓も厳なりしならん。幼にして精敏、双眸烱々として、日に書を読むこと寸に盈ち、文....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
あるを以て尊しとす。女、淫に走って自ら挑むは即ち淫婦なり、共に天を戴かずとな、女
庭訓にも教えてあることじゃ。さればこそ、あれなる黒めも物の道理よく心得て、恋は牡....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
舞踏会や音楽会へも少し都風が分って来たら連て行ましょ。書物は読るかえ、消息往来|
庭訓までは習ったか、アヽ嬉しいぞ好々、学問も良い師匠を付てさせようと、慈愛は尽ぬ....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
代にはあれほど手練のあった貴婦人たちが、干菓子のように乾《ひ》からびた教育を、女
庭訓《おんなていきん》とするようになってから、彼女たちに代ったものはなんであった....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
たん女史|十歳《とお》か十一歳の、ぼんやりした映像をお目にかける。厳しい祖母の家
庭訓に、こんな会話の場所へ連れだされても、みじろぎもしないで坐っているのだったが....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
は及ぶまい。ただ自分の家だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。 秀才もこの「
庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘し、また鄒七嫂にも言い含めて、....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
発表した。「富士百景」「狐の嫁入り」「百人一首絵物語」「北斎漫画」「朝鮮征伐」「
庭訓往来」「北斎画譜」――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。 ....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
考えるのだった。嫁は使いよい女中をかねなければならないというのが、その人たちの女
庭訓《おんなていきん》であったのだ。 錦子は、美妙は師の君ででもよいが、もっと....
「島原の夢」より 著者:岡本綺堂
一つ一つを聴くたびに、胸を跳らせて正面をみつめている。 幕があく。『妹脊山婦女
庭訓』、吉野川の場である。岩にせかれて咽び落ちる山川を境にして、上の方の脊山にも....
「時勢と道徳観念」より 著者:喜田貞吉
虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制
庭訓往来に、 賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。小賊何ぞ大賊に等しからんや。....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ど、むしろそれよりも、我が子為家に和歌の学問を伝えようとする熱望が、逆に父俊成の
庭訓を承け継ぐ気持を強くしたのであって、封建時代の特色である世襲の観念が、和歌の....