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「庶子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

庶子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新生」より 著者:島崎藤村
叔父さんが考えて進《あ》げるからね」 こう岸本は言って、もしもの場合には自分の庶子《しょし》として届けても可いというようなことを節子に話した。 「庶子ですか」....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、浪士らを救おうとして陰ながら尽力するところがあったとのことである。同じ御隠居の庶子にあたる浜田、島原、喜連川の三侯も、武田らのために朝廷と幕府とへ嘆願書を差し....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
三日に、辞世の歌を詠んで死んだ。本皓が五十歳、登勢が四十七歳の時である。本皓には庶子があって、名を令図といったが、渋江氏を続ぐには特に学芸に長じた人が欲しいとい....
地獄の使者」より 著者:海野十三
と、葉巻をきざな恰好で指で摘んで、検察官たちをぐるぐるっと見渡したものである。庶子何処 玉蜀黍《とうもろこし》の毛みたいな赤っぽい派手な背広に大きな躰を包ん....
私たちの建設」より 著者:宮本百合子
がある。日本の家族制度、財産の相続を眼目にした親子関係の見方においては、嫡出子と庶子、私生子の区別は非常に厳重で、生まれた子供は天下の子供であるという人間らしい....
社会時評」より 著者:戸坂潤
まれる理由はない筈であるが、今日の社会の実情から云えば、入学希望者が過剰なため、庶子や私生児や三業者の子供がいけなかったり、資産や家の大きさまでが入学に関係した....
源氏物語」より 著者:紫式部
の、そのお一人でしょう」 と問うた。 「大将さんのあとのほうの御愛人は八の宮の庶子でいらっしゃったのでしょう。正当な奥様という待遇はしておいでにならなかったの....
子を奪う」より 著者:豊島与志雄
ことを、彼は考えた。私生児が世の中で如何なる待遇を受けるか、それを彼は想像した。庶子の認知をして家に引取り、そして兼子と二人で愛してやったら、それは依子の生涯に....
人間繁栄」より 著者:豊島与志雄
――腕相撲の強い女――とお常との腹に出来る子供の入籍問題だった。自分の子供は凡て庶子としないで嫡出子とすることに、彼の唯一な道徳的矜持があった。そこへ、折よく再....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
んだと? みんなばかに驚いてるな。なるほど無学な者どもだわい。シャール九世陛下の庶子アングーレーム公爵閣下は、八十五歳になって十五の蓮葉娘《はすはむすめ》と結婚....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
った。 と云うのはこの人は将軍家の遠縁、元の老中の筆頭の、松平右近将監武元卿の庶子で、英俊で豪邁な人物で、隠れた社会政策家で、博徒や無頼漢や盗賊の群をさえ、手....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
る。 明治の年になって東京大学理科大学植物学教室の大久保三郎君(大久保一翁氏の庶子でかつて英国へ遊学し、帰朝して矢田部良吉《やたべりょうきち》教授の下で助教授....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ごとく譲りあたへ、たびたび朝家に採用せられて、勅撰を承る家督には秘し教へぬ事を、庶子に授くる事」があろうや。無下に俗な歌などは「家の庭訓を受け、師の口伝をも聞」....
三国志」より 著者:吉川英治
なり、優柔不断、外に大志なく、内に衰え、虚に乗じて、閨門のあらそいをめぐり、嫡子庶子のあいだに暗闘があるなど、――ようやく亡兆のおおい得ないものが見えだしました....
三国志」より 著者:吉川英治
にご相談なさい――と巧く逃げた。で、関羽へお訊ねが行ったところ関羽は――太子には庶子を立てないのが古今の定法である。劉封はもと螟蛉の子、山中の一城でも与えておか....