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廃藩
「廃藩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
廃藩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
勝戦を交える準備を完了するのであります。明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、
廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成にある。満州事変によっ....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
派と内治派との二大分裂を孕み、しばしば政事家間に衝突を起こしたりという。明治四年
廃藩置県の業成りて後、内治派の巨擘たる岩倉公は欧米回覧の企てをなし、木戸、大久保....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
打破、主従関係の打破、その他根深く澱み果てた一切の封建的なものの打破から、もはや
廃藩ということを考えるものもあるほどの驚くべき新陳代謝を促すようになった。 何....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
も翌年の十二月中に代金を返済すればいいほどの格別な取り扱いを受けて来た。いよいよ
廃藩置県が実現され、一藩かぎりで立てて置いた制度もすべて改革される日が来て見ると....
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
妾腹だったんですって。それでも一粒種、いい月日の下に、生れなすったんですけれど、
廃藩以来、ほどなく、お邸は退転、御両親も皆あの世。お部屋方の遠縁へ引取られなさい....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
。彼女は昔時《いにしえ》の太夫職《たゆうしょく》の誇りをとどめた才色兼美の女で、
廃藩置県のころの諸侯を呼びよせたものである。山内容堂《やまのうちようどう》侯は彼....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
に代えた。 幕府の瓦解は御直参と威張った旗本、御家人の墜落ばかりでなく、大名も
廃藩置県《はいはんちけん》となったから、湯川の姉娘も帰ってきた。ともかく、わびし....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
官が、諸藩を廻るという事になったのも不思議はない。そうして、これは後の話しだが、
廃藩置県となった際、この信徒は石鐵《いしづち》県へ引継いで、それから間もなく朝廷....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
た。 正木のお祖父さんは、維新までは、さる小大名の槍の指南をしていたそうだが、
廃藩後、すぐ蝋屋をはじめて、今ではこの近在での大旦那である。上品で、鷹揚で、慈悲....
「駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
てかの桜田事件の時にはやっと十八歳の春であったということ、それから時世が変って、
廃藩置県の行われたころには井伊の老臣の池田某なるものに従うて、遠州浜松へ来た。 ....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
したのが、慶応三年一月二日であるから、城が出来あがると間もなく、僅か一年ばかりで
廃藩となったわけである。 大きな城が九十九年も少しの手入れもすることなく、棄て....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
て四年六月に帰国している。『大久保利通日記』七月五日には黒田の名が出ているから、
廃藩置県(七月十四日)直前に帰っているのである。ついでながら西園寺公望《さいおん....
「福沢諭吉」より 著者:服部之総
のである。 明治四年七月、維新政府ははじめて一応強固な安定を見た。それとともに
廃藩置県以下の開明的諸変革の大波が、堤を切ってはんらんした。福沢にとってはただ寝....
「武鑑譜」より 著者:服部之総
も、この『藩銘録』のでたとし明治三年の十一月には、一同東京居住を命ぜられたから、
廃藩をまつまでもなく名目だけのものとなったのである。 十五年めの明治十七年、あ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
用して世界最終戦争に対する準備を整うるのが現在の国策であらねばならぬ。明治維新の
廃藩置県に当るべき政治目標は「東亜の大同」である。 「東亜大同」はなるべく広い範....