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廩
「廩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
廩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
判《わか》る、曰く〈ここにおいて忠広荘内に百石を給い(その子)光正を飛騨に幽し※
廩《きりん》百人口を給う、使者本門寺に往き教を伝う、忠広命を聴き侍臣に命じて鹵簿....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
にその名を、俵藤太とはいひけるなり、これは産業の財《たから》なればとて、これを倉
廩《そうりん》に収む、鐘は梵砌《ぼんぜい》の物なればとて、三井寺へこれを奉る、文....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
会って、救恤の事を議した。貞固は君侯在国の故を以て、旨を承くるに遑あらず、直ちに
廩米二万五千俵を発して、本所の窮民を賑すことを令した。勘定奉行|平川半治はこの議....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
咎めを懼るゝ体也。虹汀其心を察し、その日の裡に厚く労ひて家人に暇を与へ、家屋|倉
廩を封じて「公儀に返還す。呉坪太」と大書したる木札を打ち、唯、金銀、書画の類のみ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
まんとする態すこぶる滑稽《おどけ》たりといった。日高郡川又で聞いたは、この物|倉
廩《くら》に籠《こも》る事往々ありと。また大和丹波市近処に捕え来て牀下《ゆかした....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
なく天色朦朧たりしが、亥の二点大地俄に震ふこと甚しく須臾にして大厦高牆を顛倒し倉
廩を破壊せしめ、剰さへその頽れたる家家より火起り熾に燃えあがりて、黒煙天を翳め、....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
適当な防止策が行われ、また最も甚だしく風水害を被った三千百五十九家のために「開倉
廩賑給之」という応急善後策も施されている。比較的新しい方の例で自分の体験の記憶に....
「取舵」より 著者:泉鏡花
あるべし。されば船室よりは甲板こそ乗客を置くべき所にして、下等室は一個の溽熱き窖
廩に過ぎざるなり。 この内に留りて憂目を見るは、三人の婦女と厄介の盲人とのみ。....
「学問の独立」より 著者:福沢諭吉
《ざいせき》、徳川政府|勘定所《かんじょうどころ》の例に、旗下《はたもと》の士が
廩米《りんまい》を受取るとき、米何石何斗と書く米の字は、その竪棒《たてぼう》を上....
「三国志」より 著者:吉川英治
北随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある田豊は、 「ここ年々の合戦つづきに、倉
廩の貯えも、富めりとはいえないし、百姓の賦役も、まだ少しも軽くはなっておらない。....
「三国志」より 著者:吉川英治
をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落すよりやさしく、百千の倉
廩から二粒の米を減らすより些少な犠牲でしょう。しかもそれによって、曹軍の鋭鋒を一....
「三国志」より 著者:吉川英治
から黄金五百|斤、銭五干万、錦一万匹を荊州へ送った。 なお、蜀中の窮民には、倉
廩をひらいて施し、百姓の中の孝子や貞女を頌徳し、老人には寿米を恵むなど、善政を布....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
武士領へ、所領二十分ノ一の税を課すがよいと申すのか。さすれば、物資はどっと朝廷の
廩倉院に集積されて、楮幣裏付けの信用にもなり、かたがた、行き悩みの大内裏御造営の....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
者が多かったとの事は、別項「特殊部落と細民部落・密集部落」の中に説いておいた。倉
廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。たとい富有というまででなかった仲間でも....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
から、生活も安泰であった。穢多部落に富豪の多い事は往々記録に見えております。「倉
廩充ちて礼節を知る」で、生活に困難がなければそう嫌がられる事もせず、世間に比して....