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「延元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

延元の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
これが口切りで、わたしは今夜もひとつの新らしい話を聴き出すことが出来た。 万延元年六月の末頃から本所の竪川通りを中心として、その附近にたくさんの白い蝶が群が....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
高名になったのは、あたかも一場の芝居のような事件が原因をなしているのであった。万延元年の十月、きょうは池上の会式というので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
海岸通り、北仲通り、本町通り、弁天通りが開かれる。野毛の橋が架けられる。あくる万延元年の四月には、太田屋新田の沼地をうずめて港崎町の遊廓が開かれる。外国の商人館....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
から甘受して居る聡明な青年武将の面影が躍如としている。 正行の活動延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山|行宮に崩御せられた。北畠親房は常陸関城にあ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
たが、かんじんの安兵衛らはまだいつ神奈川へ出向いて来るともわからない。 年も万延元年と改まるころには、日に日に横浜への移住者がふえた。寛斎が海をながめに神奈川....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
政五年異国交易御免以来の諸物価が格外に騰貴したことから、同年の冬十一月、および万延元年十月の両度に村の火災のあったことも言ってある。文久元年の和宮様の御下向、同....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
殺し/\と云って居りますが、往来は稀な山村で、名におう上野国東口の追貝村、頃は寛延元年八月の二日、山曇りと云うので、今まで晴天でいたのが暗くなって、霧が顔へかゝ....
経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
一 吉田君は語る。 万延元年――かの井伊大老の桜田事変の年である。――九月二十四日の夕七つ半頃(午後五....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
終に伸びず。名文空しく万古に存す。 当年の関城主は誰ぞや。関宗祐、宗政父子也。延元三年、親房は宗良親王を奉じて東下せしに、颶風に遭ひて、一行の船四散し、親房は....
岩魚」より 著者:佐藤垢石
年生) 失踪 同 裕八郎(儀右衛門長男安政五年生) 死亡 妻 ふゆ(萬延元年生) 失踪 同 雅衛(裕八郎長男明治十四年生) 現存 妻 みよ....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
う。ごゆっくりお休みなされ』 役僧は、風流の心を察したかのようであった。 万延元年三月三日は、黎明の頃から江戸にちらちらと雪が降った。 男坂の方から愛宕山....
にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
悲しき副膳のお肴 万延元年の四月の末の方、世はもう、青葉に風が光る初夏の候であった。 京都所司代酒....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
という説がある。左に右く天禀の才能に加えて力学衆に超え、早くから頭角を出した。万延元年の生れというは大学に入る時の年齢が足りないために戸籍を作り更えたので実は文....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
。その後、高野山の蓮花谷に隠棲したが、元弘建武の間また京都に帰ってもいる。かくて延元三年八十九歳を以て世を去った。 以上は鎌倉時代末期における二条・京極・冷泉....