延宝[語句情報] » 延宝

「延宝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

延宝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
義人の姿」より 著者:田中貢太郎
延宝二年の話である。土佐藩の徒目付《かちめつけ》横山源兵衛の許へ某《ある》日精悍....
丹下左膳」より 著者:林不忘
主水正は、指を折って数えて、 「正保《しょうほう》二年、承応三年、寛文四年九月、延宝七年……と、ちょっと数えましても、実におびただしい御修覆の数々。ところで、そ....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
令二進上一之処、破壊之間、令二畑中助三藤原経吉一新写、加二奥書一也。 于時延宝七年季冬朔日 伊達十九代左少将藤原朝臣綱村(花押) とあるに依り、一....
ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
し、名勝旧跡を探りつゝ西を志す事一年に近く、長崎路より肥前|唐津に入り来る。時に延宝二年春四月の末つかた、空坪年二十六歳なり。 空坪此地の景勝を巡りて賞翫する....
十二支考」より 著者:南方熊楠
う事いかがと制したれど、その師|貞徳《ていとく》の句にも見え近くは『仮名字例』(延宝四年印本)に「おいかけ、※、冠具。俗ナベトリというとあり、今は老懸を知らざる....
十二支考」より 著者:南方熊楠
※に当て※猪と書いたので、その頃これをカモシシと呼んだその名がわずかに程ヶ谷辺に延宝年間まで残り在《い》たのだ。氈和名カモ、褥呉音ニク、氈にも褥にもなったので、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
枕も出色な出来ですが、こうして並べて見ると格段の違いがありますね」 ちょうど、延宝年間に納めた魚河岸《うおがし》の大提灯を斜めにして、以前の国芳が全体を現わし....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
温泉岳も寛永三年に噴火し、阿蘇山は王朝時代から思いだしたように時時噴火している。延宝四年六月には石見、同五年三月には陸中の南部に地震と海嘯があった。元和三年五月....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
ていた頃紅葉君、露伴君に私は西鶴の古本を見せた。 西鶴は俳諧師で、三十八の歳|延宝八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享元年に二万三千五百句を一日一夜の....
海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
る野中兼山が開修したが、港が小さくて漁船以外に出入することができないので、藩では延宝五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を開設することになり、権兵衛を挙げて普....
絶景万国博覧会」より 著者:小栗虫太郎
、その間には、用水堀や堰の跡などもあろうと云った情景。わけても、田圃の不動堂が、延宝の昔以来の姿をとどめていた頃の事であるから、数奇を凝らした尾彦楼の寮でさえも....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
飲みほして 身はあき樽に 帰る古里 と、いうのが刻んである。台石の蓮花の中に、延宝八庚申正月八日とあるのは、この碑を建てた日である、と※庭雑録に載っている。戸....
芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
はさらに古くから行われたのである。そのてとは『算法勿憚改』に見える。『勿憚改』は延宝元年(一六七三)村瀬義益の作であるが、中に武州目黒村の不動堂に算額を奉納した....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
注意したるものなるべし。 (二)古語 もまた蕪村の好んで用いたるものなり。漢語は延宝《えんぽう》、天和《てんな》の間其角一派が濫用してついにその調和を得ず、其角....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
演技者の肉体的勢力にありて、歌舞音曲はその補助たりしや明かなり。寛文《かんぶん》延宝《えんぽう》以降時勢と共に俳優の演技|漸《ようや》く進歩し、戯曲またやや複雑....