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「延寿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

延寿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派....
仇討たれ戯作」より 著者:林不忘
てみたいと六樹園は思った。 で、話が進む前に六樹園は切り出した。 「尊家は仙方延寿丹《せんぽうえんじゅたん》、または江戸の水とやら申す化粧水を売り出し、引札を....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
て居ります。この書は日本にも早く渡来したと見えまして、かの、『飛雲渡』や、『陰徳延寿』の話などは落語の材料にもなり、その他の話も江戸時代の小説類に飜案されている....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、疏にあらば晋より後のはずでいずれとも今分らぬ。しかし『淵鑑類函』四三二、後漢王延寿王孫賦、既に酔い眠った猴を縛り帰って庭厩に繋《つな》ぐとあれば、郭璞に始まっ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
性を知り、ことごとく棒で打ち砕いて妖怪を絶ち、かの僧その寺を中興すと載す。漢の焦延寿の『易林』に巽《そん》鶏と為すとあれば、そんけいは巽鶏《そんけい》だ、圭《け....
火星兵団」より 著者:海野十三
眼で見え出すと、騒ぎは、いよいよ大きくなった。 『モロー彗星対策相談所』とか、『延寿相談所』などという珍妙な看板が、どこの都会にも、十や十五はあらわれた。 人....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
きよもと》お葉《よう》は名人|太兵衛《たへえ》の娘で、ただに清元節の名人で、夫|延寿太夫《えんじゅだゆう》を引立て、養子延寿太夫を薫陶したばかりでなく、彼女も忘....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ようと思います。どうか一つ御指導下さい。蚊帖をつればあけてもたしかに安全ですね。延寿太夫という芸人は、喉のために冬でも絽の蚊帖を吊って居る由。 肥ったものは大....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
やってね、どんなに珍しく思うでしょう。 三時から式で神主が来て、それから築地の延寿春という北京料理でお客しました。 花のこと云っていたのに到頭私は花を買いま....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
た若侍は小堀義哉というもので、五百石の旗本の次男、小さい時から芸事が好き、それで延寿の門に入り、五年経たぬ間に名取となり、今では立派な師匠株、従って父親とはソリ....
越後獅子」より 著者:羽志主水
》が女房を賞めるじゃ無いが」 に来た時、ア、其処です其処ですと怒鳴った。 門並に延寿の話《かた》るやかましさ (主水) (一九二六年十二月)....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
九州へかけての地盤はたいしたもので、今の山城少椽(当時古靭太夫)、観世左近、清元延寿太夫、吉住小三郎、関屋敏子、先代桂春團治、立花家花橘などがその代表的な専属芸....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
十年の祝賀として、諸芸有名会を開く。 ○二月、日露戦争開く。 ○三月十六日、清元延寿翁死す、七十三歳。江戸末期より明治にわたれる清元の名人にて、最初は四代目延寿....
日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
のがこの二句にいいあらわされていることなのである。(これは『文選』に見えている王延寿の魯霊光殿賦のうちの辞句をとってそれを少しくいいかえたものであるが、このこと....
味覚の美と芸術の美」より 著者:北大路魯山人
を日本人の洋楽における如く、一人前によく成し、よく歌うものあるを聞かない。まして延寿太夫の如き清元を、あるいは義太夫を、あるいは謡曲を解し歌い、且つ語る者に至っ....