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「延暦寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

延暦寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
らぶる手を人間の上に加えなかった。ややもすれば神輿《じんよ》を振り立てて暴れ出す延暦寺の山法師どもも、この頃はおとなしく斎《とき》の味噌汁をすすって経を読んでい....
虞美人草」より 著者:夏目漱石
出した。 「御叔父《おじ》さん、東塔とか西塔とか云うのは何の名ですか」 「やはり延暦寺《えんりゃくじ》の区域だね。広い山の中に、あすこに一《ひ》と塊《かた》まり....
比叡」より 著者:横光利一
、どうして子のないのに日々を忍耐していくことが出来るのかと、無我夢中に暴れ廻った延暦寺の僧侶達の顔と一緒になって、しばらくは友人たちの顔が彼の脳中を去らなかった....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
それでした。ほかに批難すべきところはなかったが、極度の天台宗信者で、京都|叡山の延暦寺を以て海内第一の霊場と独り決めに決めている程、狂的に近い信仰を捧げていたた....
十二支考」より 著者:南方熊楠
録に牽強多くて事歴の真相知れがたきも、大体を稽《かんが》うるに、伝教大師この社を延暦寺に結び付けた遥か以前に、二の宮この山の地主と斎《いつ》かれた。そのまた前に....
源氏物語」より 著者:紫式部
りえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて脇息によりかかっておいでになった。延暦寺の座主のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この....
源氏物語」より 著者:紫式部
明けくれに昔こひしきこころもて生く る世もはたゆめのうきはし (晶子) 薫は山の延暦寺に着いて、常のとおりに経巻と仏像の供養を営んだ。横川の寺へは翌日行ったので....
法然行伝」より 著者:中里介山
に菩提寺という山寺があった。この寺の院主|観覚得業《かんがくとくごう》という人は延暦寺に学んだ者であるが、そこでは望みが遂げ難いと思って、南都に移って、法相《ほ....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
真宗の両|本願寺、禅宗の南禅寺や妙心寺や大徳寺、時宗の歓喜光寺、天台宗の妙法院や延暦寺。加うるに由緒の深い寺刹がどれだけあるでありましょうか。従ってそれらのお寺....
私本太平記」より 著者:吉川英治
と、どこ一点怪しむかどもない明瞭な陳弁だった。 かつは鰐淵寺は、都の比叡山延暦寺の有力な末寺であり、元徳三年のころ、ときの叡山の座主大塔ノ宮のおはからいで....
私本太平記」より 著者:吉川英治
衛門佐義貞 山崎方面、七千騎 脇屋駿河守義助 遊軍、山徒の僧兵千余人延暦寺ノ僧、道場坊|宥覚 ほかに若干の舟軍がある。――舟軍は琵琶湖上を遊弋して....
私本太平記」より 著者:吉川英治
営から駈け出して行ったが、その顔色はもう恐ろしい憤りになすられていた。 行宮の延暦寺根本中堂のうちでは、かねてからのおしたくだったが、今暁はもう暗いうちからの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
謳うなども、以てのほかな僭上だ。ゆらい年号を寺名に冠する寺は、国家第一の比叡山|延暦寺のごとき勅願寺のほかは、ゆるさるべきものではない」 と、大岳の鐘を鳴らし....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
末は不幸にしてこれを明らかにする史料が不備であるが、祇園の犬神人の方は、この社が延暦寺に属していたが為に、その活躍も目立たしく、史料も比較的豊富に遺されている。....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
かもしれないが、なおこれは再考を要するのものとしてしばらく保留したい。 東寺や延暦寺のような諸大寺には、なお祇園に犬神人があり、興福東大諸寺に唱門師があったよ....